[本尊の作成に手を染めた顕正会 ]

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] |トップページへ戻るスポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

顕正会の本尊について再考察

※当記事及び、当ブログで書かれている顕正会の本尊に関する情報については、あくまで参考資料程度にご利用ください。

【顕正会の本尊に関する最新記事はこちらから。】

では以下。

――――――――――――――――――

私は先日、現在顕正会内で出回っている「日寛上人の御形木御本尊」についての考えを書きました。

要約すると、

『日達上人の御形木様が下附されるようになった時点で日寛上人の御形木様は本山に返納されているはずであるという私個人の憶測から、数百幅の御形木様が妙縁寺に秘蔵されていたということ自体が「ウソ」だったのであるということ。また秘蔵されていなかったことを前提条件として、当時の松本日仁さんが「新たに」総本山に対して御形木様の御下附を申請すること自体が、当時の松本日仁さんの置かれた立場を鑑みれば不可能であった。』

といった主旨のものでした。随分と断定的な書き方を致しましたが、その際に参照させて頂いた“慧妙”の記事自体がかなり年数の経っていたものであったことと、慧妙平成26年12月1日号の記事にて編集室様の最新の見解を拝見し、深く思うところがございましたので、今回訂正を入れておきたいと思います。

顕正会の日寛上人の御形木御本尊の真偽を検証しようとした場合、ことが御本尊様についてである以上、殊に慎重を期すべき事柄であることをまず念頭に置かなければいけません。
しかしながらこの問題については決定的な証拠に成り得る資料が存在していないというのが切実な現状なので、ある程度有力な手立てとして、ネット上に残る過去の書き込み等を拾い集め、そういったものを本に推論を立てていく方法というのも蔑ろにはできません。

ということでまずはそういった作業の中、私が殊更興味を引いた記事がこちら、→元顕正会・現法華講員であるコットンあめさんのブログ記事

DMできないため、直接ご本人にお伺いすることができないのが残念ですが…。勝手ながら(コットンあめさんすみませんm(__)m)引用させて頂きますと、

『元顕正会員で幹部を務めた方が顕正会を脱会し、法華講へ移られ顕正会からお預かりしていた日寛上人の御形木御本尊を宗門へ持ち込み鑑定して頂いた結果、本物とは相違する部分が多々存在することが判明しました。
(この方が御本尊様をお預かりしたのは平成11年です。)
更に、今回私たちがお預かりしていた日寛上人の御形木御本尊もそれと同様であり、私達の目から見ても明らかに本物とは相違しておりました。
(私たちが御本尊様をお預かりしたのは平成11年です。)
平成11年以降、自宅拠点で御預かりさせて頂いている日寛上人御形木御本尊様は全て偽物である可能性があります。』


とのこと。
平成12年辺りで隊長・区長以上の幹部宅に日寛上人の御形木御本尊が一斉に下附されたようですが、これ以降下附された日寛上人の御形木御本尊は全て偽物だという見方が割と濃厚です。
裏を返せばそれ以前は本物という可能性も十分ありうるということになりますが、とにかくこれは平成11年に浅井会長が突如表明した『日顕上人の御相承否定』に付随する『日達上人・日顕上人御書写の御本尊否定』に連動して大量の御本尊の取替えが必要になった、そのことによって急速に御本尊の数が足りなくなってきたのではないか、とのことです。

それから、『妙信講破門時における本物の日寛上人の御形木御本尊様の数』について。
これは前回の記事に書いたように浅井会長の公式発言が「数百幅」「多数」「大量」等、ニュアンスが年々変化しています。ただ上に述べたように今回訂正しておく点として、具体的な数は明確ではないにしろ「ある程度はあった」という前提であくまで慎重に考察を進めるべきだったということです。

ちなみに、「二百数十幅と発表があった、若しくはその程度だろう」等、当時の事情に通じているであろう方の推論がネット上の残っておりましたが、いまいち根拠に欠くのでどうしても不分明さは否めません。

ただし本来、顕正会側の教義の視点・観点から考えれば、御本尊を書写する資格のある方が宗門にいなくなったというわけですし、まして『広宣流布を進める唯一無二の団体』と標榜しているわけですから『御本尊作製の権限は我々にある!偽物と言われる筋合いなどないのである!』と本当なら堂々と公言すれば良いわけです。

ハッキリしない以上、現在の顕正会側の教義・信条の視点から考えるならば、

日布上人の大幅の御形木御本尊なる代物は120%偽物
ということだけは間違いなく言えてしまいます。

今後、ニセ本尊チラシの大量配布という法華講員さんの献身的活動が盛んになってきている状勢を鑑みれば、顕正会側も早急に何かしらの手を打たなければ、間違いなく今後会内では疑念が増長し、各組織内でもその事に端を発する紛糾が続発、やがては空中分解に至ることは必至です!

「手を打つ」ということについて大いに考えられるのは、浅井会長は昔から学会の二番煎じが専売特許であるということ。つまりは今回の「戒壇の大御本尊様否定」との会則変更に乗じて、従来の信条に則った本尊義からの離脱、教義路線の変更です。まともに問答などするわけがないのですから。

遂に浅井会長がタガを外し、開き直る。

そのことによって、顕正会員の脱会に歯止めがきかなくなる。

脱会者の中でも真の信仰心ある者は日蓮正宗へ続々と帰伏。

その日はそう遠くないのではないかと思います。
スポンサーサイト

顕正会の本尊は何故「ニセ」なのか?(妙縁寺所蔵のウソ)

それでは、「何故日寛上人の御形木御本尊がずっと妙縁寺に所蔵されていたのか?」
という疑問点。これはどういうことかというと、日蓮正宗において日達上人御書写の御形木御本尊が下付されるようになった昭和41年の時点で、各寺院に残っていた日寛上人の御本尊は総本山に納められている事実があるためです。

何故、九年後まで、しかも妙縁寺に限って数百幅も残っていたのか?これは大いに疑問です。

このことについて浅井会長は「松本尊能師はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ」(平成5年6月15日)と述べられたきりで、それ以外の明確な理由については、浅井会長の口から一切説明されていません。、

これでは「寺院所蔵の御本尊」ということに全く信憑性がありません。

すると必然的に発生するのが、次の5番目の疑問点です。

「妙信講の解散処分が下った当時、そもそも妙縁寺に日寛上人の御形木御本尊などなかったのではないか?」

このことついては、まず昭和60年と平成11年における浅井会長の発言内容の相違から窺えます。

前記事で掲載させて頂いたように、浅井会長は昭和60年の時点では、

「松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た
と、言っていますが、後の平成11年4月12日の発言では、
「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して、私に託して下さったのであります。」
と、あります。
つまり当初の「寺院所蔵」と、後の発言では明らかにニュアンスが変化しているのです。

御下げ渡し下さるよう願い出た」→「多数用意して

用意するということは、それまでなかったものを新たに用意してもらうという意味です。わざわざ総本山に依頼したということになります。
そういった筋で考えると、昭和60年の「寺院所蔵の御本尊」という浅井会長の発言は「ウソだった」と言わざるを得ません。

なぜわざわざ「ウソ」をつく必要があったのでしょうか?
論に詰まった顕正会員は毎度の如く、「先生に何か深いお考えがあってのことだ」というに違いありません。
しかし、浅井会長の口からその「ウソ」について、一切弁明がないのは事実ですし、どう考えてもウソをつかなければならなかった理由なんてものは見当たりません。

単に、無知による「失言」なんですね。

その犯した失言をフォローするため、徐々に発言が変化していくのです。

そして更に、松本元住職の当時の状況を鑑みれば妙縁寺に所蔵されていた御本尊ではないことは明白です。

浅井会長が松本元住職に「願い出た」という時期、妙縁寺は総本山から派遣された住職代務者の指揮管理下に入れられていました。
浅井会長らに肩入れしていた松本元住職は妙縁寺内の一室に籠城(ろうじょう)していることで精一杯の状況で、とても新たに御形木御本尊数百幅を「用意」することなどできなかったはずなのです。

要するに、当時の松本日仁住職に御本尊を数百幅用意できるような「信用」も「余裕」も「権限」もなかったというのが事実なのです。

まして、「妙信講に渡す」という理由で総本山から御本尊を頂けるはずがありませんね。

以上、ニセ本尊について、大日蓮出版のリーフレットや慧妙等を元に個人的な所感を交えてお話させて頂きました。
過去にも「ニセ本尊」について、いくつも記事を書いていますが、今回改めて取り上げて記事にしようと思った理由は、ニセ本尊の害毒と本物の御本尊の功徳を、理屈ではなく「実体験」として徐々に確証を得ているからなんです。

一年前、ニセ本尊を拝んでいた自分と今の自分…。まだまだ本当に自身の至らない点や課題・改善点は山積していますが、変わったのは「それらを受け止めて、素直に改善していこうと思う、建設的で謙虚な心」を持てるようになってきたことです。

環境は見る見るうちに変わり、遂にこの度、新しい大きな仕事を任せて頂ける運びとなりました。

ここ一年の変化については後日、じっくり書かせて頂こうと思います。

顕正会の本尊は何故「ニセ」なのか?(5つの疑問)

顕正会の「日寛上人の御形木御本尊」を考えたとき、以下のような重大な疑問が浮上します。

1、何故、数百幅の日寛上人御本尊がずっと末寺(妙縁寺)に所蔵されていたのか?

2、何故、その事実を10年以上も公にしなかったのか?

3、顕正会の本尊に功徳の血脈が通う道理はあるか否か?

4、数百幅の形木本尊では数が足りなかったのではないか?

5、妙信講が破門された当時、もともと妙縁寺には日寛上人の本尊などなかったのではないか?

それではまず、この「日寛上人の御形木御本尊」なるものが顕正会の中で公になる契機となった、昭和60年における浅井会長の発言を挙げてみます。

「顕正会で護持している御本尊は、全て日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師(昭和49年に日蓮正宗より擯斥<ひんせき>され僧籍を失っている)より授与され、私が護持申しあげてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。(中略)御形木御本尊については、宗門の全末寺において昭和40年までは日寛上人の御本尊が下付されていたが、41年からは日達上人の御形木御本尊に替わった。松本尊能師は40年以降、この日寛上人の御形木御本尊を妙縁寺に秘蔵しておられたが、私の願い出により、これ(御形木御本尊数百幅)を全て託して下さったのである。」
(顕正新聞 昭和60年3月15日号)

上掲の浅井会長の発言から必然的に発生する5点の重大な疑問。常識的に考えればこの時点で既にニセ本尊確定ですが、顕正会員側に与えて論じさせた場合、特に問題視されない点がいくつかあると思います。

まず2についてですが、これは「言わなかっただけであろう。逆に、先生が会員に対してただちに事実を公表しなければならない理由などない」という解釈で済まされてしまうと思います。

次に3については「血脈」についての認識自体が顕正会員は浅薄ですし、「御遺命違背」や「日達上人から日顕上人への御相承有無」で、ガチガチに凝り固まった頭で理解するのは大変難しいことだと思います。

そして4についても、会長発言の「数百幅」と、実際に顕正会内で出回っている本尊の具体的な数が明確ではないため、「足りたのだ!」と言われればそれまでです。根拠が不十分なので、それを証明することも否定することも出来ません。

となると、残った1と5の疑問点について、顕正会員は一旦立ち止まって冷静に事実を確認するべきです。その上でもう一度「日寛上人の御形木御本尊」を有難く拝せるかどうか?胸に手を当てて自分の命に向かって聞いてみて下さい。
あなた(顕正会員)の命は本当に成仏への安心感や確信で満ち溢れていますか?、それとも言い知れぬ恐怖に震えているのでしょうか?

次は問題の1と5についてです。
続く。

顕正会の本尊は何故「ニセ」なのか?

もしカラーコピーで紙幣を複写し、お札を作製するとします。どんなに本物を見分けがつかないほど精巧につくられたとしても、それは『ニセ札』であり、作製し使用すれば法的に罰せられることになります。なぜなら、

1、政府の正式な許可がなく
2、日本銀行から発行されたものではなく
3、自分で勝手に作ったもの

だからです。顕正会の「ニセ本尊」もまったく同じ道理です。

1、御法主上人の許可を受けず
2、総本山から下付されたものではなく
3、顕正会が御本尊を勝手にコピーして作製したもの

だから「ニセ本尊」というのです。

以上の1~3の中で、顕正会員さんにとって特に事実として受け入れ難いのは三番目の理由ではないでしょうか?

顕正会員さんとお話をする中で、こちらが「顕正会の本尊はニセ物です!」と指摘すると、相手方はまるで鳩が豆鉄砲を食ったように、「一体何を言い出すのだろうこの人は?」と言わんばかりの表情を浮かべながら、きょとんとしてしまう人がしばしばいらっしゃいます。

私も7年間顕正会に在籍して、苦しい時も楽しい時も、顕正会の本尊に題目をあげてきた過去がありますから、「ニセ本尊」と指摘された時の顕正会員の心中は少なからず察し得ます。

私自身も初めて「ニセ本尊」と耳にしたときは、一体何の事を言っているのか皆目見当もつきませんでした。

そこで私はそのような方に対し、次のような例を示して説明してあげています。

あなた(顕正会員)はまず、顕正会館に安置されている御本尊をデジカメで撮影します。

それを持ち帰り、パソコンに落とします。

その御本尊の画像の中で余計だと思う箇所や、都合の悪い箇所を編集して削除します。

その画像編集した御本尊をプリントアウトして、壁に掛けます。

あなたはそのようなもの(本尊)を有難く拝めますか?

すると、多くの顕正会員さんは、決まって顔をしわめながら、「そんな恐れ多いことはできるわけありません」と、仰います。

しかし、浅井先生はそれをやってしまっているのです。

あなた(顕正会員)が日々参詣し、題目をあげている顕正会館の本尊とはそのようなものなのです。

続く。

ニセ本尊 「功徳の血脈から考える」

日有上人 化儀抄 第八条

【筋目を正して願い出る】

----------------------------------------
<条文>
実名(じつみょう)、有職(ゆうそく)、袈裟(けさ)、守(まもり)、曼荼羅本尊等の望みを、本寺に登山しても、田舎の小師へ披露し、小師の吹挙(すいきょ)を取りて本寺にて免許有る時は、仏法の功徳の次第然るべく候。直に申す時は、功徳爾(しか)るべべからず云云

――――――――――――――――――――
<現代語訳>
日号、阿闍梨号、袈裟、御守御本尊、常住御本尊などの授与を法主上人に願い出る場合、総本山に登山して願い出を出すにしても、先ず菩提寺の住職に申し出て、その住職の推薦を頂いた上で、総本山において下附のお許しが有った場合は、そこに御本仏・大聖人かた流れる仏法上の功徳が確かに具わるのである。正式な手順を経ないで、勝手に総本山に対し種々の願い出をする時は、その願い出は聞き届けられず、仮に巧妙に願い出を通せたとしても、そこに功徳は具わらないのである。

------------------------―---------------

本条では、法主上人に対して種々の願い出をする際には必ず手続(てつぎ)の師匠たる菩提寺の御住職を通さなければならないことを指南されています。
条文の中で、日号、阿闍梨号、袈裟については僧侶に対する事柄でありますが、本尊については信徒にも直接関わりのある内容です。
化儀抄第四条にも示されておりますが、菩提寺の御住職の事を「手続の師匠」と称する理由は、信徒と御本尊(大聖人)との取次ぎ役としての役割を担っている故であり、またこの役目は、御法主上人から与えられた任なのです。
この、御本尊様(大聖人)→御法主上人→末寺の御住職→信徒。という筋目を守らずに、手続の師匠たる末寺の御住職をとびこえる行為は、その御住職を任命した御法主上人の御意志を蔑(ないがし)ろにするものであり、突き詰めれば大聖人様の御意に逆らう結果となってしまいます。
従って、功徳を頂けない行為であると御指南されているのです。

顕正会が所持している御本尊である、日寛上人の御形木御本尊や日布上人の大幅の御形木御本尊を初め、全ての御本尊が「ニセ本尊」といわれる所以(ゆえん)は正にここにあるのです。

御利益の有無を論ずる前に、大事なのは功徳の流れ道という道理を明確に示す事であり、そこが定まらない限りは、いかに現証を語るとも、それは不毛の論であるということなのです。

では、具体的に、日蓮正宗の御本尊様が、一体どのような経緯を経て顕正会の所有となったのでしょうか。

昭和49年の解散処分よりも後に日蓮正宗から顕正会に対して御本尊様が下附されるはずはありませんから、解散処分直前に遡(さかのぼ)って再確認してみたいと思います。

まず昭和48年12月22日、妙信講本部会館が東京常盤台に新築落慶した際、その本部会館には妙縁寺重宝の御本尊が安置されたわけですが、実はこの御本尊は松本日仁住職と浅井会長親子の間のみで貸与の約束がなされたものでした。

つまり、正式に宗務院許可、および妙縁寺総代の了解を得た手続きを経ていなかったのです。

ですから当然、妙信講破門後の裁判で日蓮正宗は返却要求しております。しかし現状は未だに妙縁寺に返却されてはいないようです。

このことは、顕正会破門直後の昭和49年10月19日、日達上人の「宝浄寺創立10周年記念本堂改築落成式の砌」における御指南を拝せば良くお解り頂けるかと思います。
 
「また、妙信講は本部を造ってそこに、御本尊を安置しております。それは、妙縁寺というお寺、本所中之郷の妙縁寺の御本尊を宝物の御本尊を住職がうっかりしてしまって、以前に、「十万所帯の人を折伏するから、御本尊を借して下さい」と云うから、まだ、日蓮正宗の一団体であったから、住職が貸したのです。ところが、今度そういう風にして、宗門から破門されたから、今度は返してくれと住職が云ったら、いや一万所帯作ったら返しますからと云う。じゃあ謗法の信者を十万所帯作られたら、もっと大変な事になってしまう。早く返してもらってくれと云うのだけれども、仲々らちがあかないで、困ってしまう。」

この御指南と前述の化儀抄を合わせて拝せば、、顕正会の所持している御本尊というのは、既にこの当時から、功徳の流れが絶たれてしまっていたという事が良くお解り頂けるかと思います。

また「大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅」についても浅井会長は「妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進の為、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。」と自ら仰っていますから、必然的にこの日達上人の御指南の中の返還を要求している御本尊のうちに含まれるという事ですね。

功徳の有無、そして成仏の可否ということは、全て大聖人の見定めによって決定するということを顕正会員さんには知ってもらいたいと思います。

「ニセ本尊」と言われても俄(にわか)かには信じ難いという顕正会員さんへ

自身の信仰の対象物を否定されることが、大変受け入れ難い事実であるということは、私も経験の上から良くわかります。
それを認めるということは同時に、今までの自身の信仰上の活動の一切が水泡に帰するということになるのであれば、認めたくないというのは大変切実な心情であるということも良く理解できます。勿論、個々人の顕正会への信仰心の強弱にもよると思いますが、ある程度の時間も必要だと思います。

前に法華講員から何度も折伏を受けている顕正会員の副長さんとお話させて頂いた際、その副長さんは「ニセ本尊といわれても何とも思わない」と言っていました。
きっと真意は「何とも思わない」のではなくて「何とも思いたくない」「考えたくない」のでしょう。
ちゃんと仕事もしているし、所帯ももっている、話せばわかる頭の人です。

偽物の理屈は理解できても、顕正会活動をする中で身の上に起きた不可思議な御利益のような現象や、ニセ本尊への恍惚感(こうこつかん)が拭えずにいるといったような心の状態を「執着」といいます。

「偽りの親しみ」です。

それでは頑迷な顕正会員さんが、ニセ本尊信仰から脱する為にはどうしたらいいか。
まずは「御形木御本尊」の意義についての再認識が、段階的な意味合いで重要になってくると思うのです。

浅井会長は御形木御本尊の本質について「試練と忍従の歴史」の中で次のように説明しています。

「御形木御本尊とは入信者に仮りに貸与(たいよ)される印刷された御本尊のことである。歴代御法主が直筆を以て書写し授与される御本尊は、常住御本尊を呼ばれる。」

御形木とは「貸与」であり常住とは「授与」であるという事です。

「貸与」とはどういう意味か、辞書で調べてみますと、
「金や物を貸し与えること。返すことを条件として金品の使用を許すこと。」(デジタル大辞泉)
とあります。
要するに、御形木御本尊とは「貸し与える」側が存在するのであり、必ず「返す」ことが条件となってくるわけですね。

現在顕正会館はある御本尊は一部会館の常住を除き、そのほとんどが「日布上人の大幅の御形木御本尊」と称するものであり、それは本質的には「貸与されている御形木」なのだという事を深く認識してもらいたいのです。

ニセか本物かという事を問題とする以前に、まずはこの部分の認識をしっかりもってもらいたいのです。

つまり貸している当事者は日蓮正宗であり、就中、当代の御法主上人猊下であられるという事です。

更に、もとよりこの御本尊の貸与に関しては、宗務院許可、および妙縁寺総代の了解を得た手続きを経ていないというのが事実なのです。

昭和48年、12月22日に奉修された「常盤台の本部落慶入仏式」において松本日仁能化は

「十万達成まで日開上人御筆の妙縁寺重宝の御本尊を本部会館安置の御本尊として確かに貸与する」

と言った記録が残っているようですが、「貸与」のそもそもの始まりからしても、松本日仁の勝手な暴走であったことを知らなければなりません。

そして、顕正会破門直後の昭和49年10月19日、日達上人は「宝浄寺創立10周年記念本堂改築落成式の砌」に次のように仰せです。
 
「また、妙信講は本部を造ってそこに、御本尊を安置しております。それは、妙縁寺というお寺、本所中之郷の妙縁寺の御本尊を宝物の御本尊を住職がうっかりしてしまって、以前に、「十万所帯の人を折伏するから、御本尊を借して下さい」と云うから、まだ、日蓮正宗の一団体であったから、住職が貸したのです。ところが、今度そういう風にして、宗門から破門されたから、今度は返してくれと住職が云ったら、いや一万所帯作ったら返しますからと云う。じゃあ謗法の信者を十万所帯作られたら、もっと大変な事になってしまう。早く返してもらってくれと云うのだけれども、仲々らちがあかないで、困ってしまう。」

貸している側の御方がこのように仰っているのです。

顕正会、浅井会長は強奪してしまったのです。
ですから、「御形木」の「貸与」という意義もその時点で失せるのであり、それではただの「コピー曼荼羅」となってしまうのです。

大聖人様は顕正会員の良く知る『佐渡御書』の中で
「我この度の御勘気は世間の咎(とが)一分もなし。」
と仰せです。
大聖人様は現行している世間法と照らし合わせても、一切の過失なく、法をお弘めになられたのです。

大聖人様の御命令を信心の耳で聞き奉っている浅井先生が、なぜ世間法を犯すのでしょうか?

ここで、古い幹部会員さんは昭和52年4月にでた裁判の結果を持ち出すのでしょう。

「顕正会 御遺命守護の戦い」に曰く

「始めは、松本御能師にこの御本尊を取り上げさせようと強要しました。だが松本御能師の「妙信講は正しい、そんなことは私には出来ない」との拒否にあうや、大作は直ちに宗門に命じて松本御能師を妙縁寺住職より罷免し、さらに擯斥処分に付した。そしていよいよこの御本尊を、法的手段に訴え、力づくでも奪わんと、昭和四十九年十一月十三日、非道の裁判をしかけてきたのであります。
(中略)
 その条件とは、次の三つであります。
 一つは、“もう妙信講本部会館の御本尊を奪うなどということは絶対にしない。今後永遠に、この問題で訴訟を起すことはいたしません”と云ってまいりました。
(中略)
以上の条件を示して、裁判をすべて取り下げてくれというのです。皆さん、どうでしょうか。これはまさに事実上の全面勝利であると私は思うのですが、いかがでしょうか(大拍手)。」

しかし、この講演の中で最も重要な「松本さんから受け取った顕正会が保有している御本尊は妙縁寺に返すこと。」といった旨の裁判の結果について浅井会長は一切触れていないのです。

つまり、「御本尊を返却することは裁判で決定したのですから、以後はまたその事で訴訟を起こすことはしません。日蓮正宗側は黙って待っております。」ということであり、本質は返さなくても良いということではないのです。

要するに「法を犯し、奪った本尊」であるという事ですから、「御形木」と称すること自体が本義からして不適当なのであり、顕正会員さんはそういった角度からも、顕正会の本尊という事にについてもう一度良く考え直してほしいと思います。

顕正会「ニセ本尊詐欺」の手口を考察

「御本尊様の扱い方」ということについて、顕正会と日蓮正宗で比較すると、そこには大きな相違点が浮かび上がってきます。
それは‥
日蓮正宗ではまだ御受戒を受けていない方、正宗信徒ではない方に対しても、ドンドン御本尊様を拝させ、縁をさせます。仏縁に触れることが即折伏となり、言葉で云々よりも命で仏様を感じてもらう為です。
また、私はまだ参加したことはありませんが、御虫払い会では総本山大石寺にて数十幅の御本尊様が奉掲されます。
つまり「公」なのです。

しかし顕正会では基本的に、御本尊様を会員以外の方に見せることはありません。

ただ一つ、例外を挙げれば「隊集会や支区集会」に関しては未入信でも参加が可能ですが、必ず前列は幹部会員で埋まっており、その為に御本尊様を近くで拝す事ができる状況ではありません。

ビデオ放映も未入信で参加できますが、終始、御本尊様はお扉をお閉めしたままですね。

入信勤行の際には「入信報告書」を書き終えた入信決定者でない限り、絶対にお仏間には入れませんよね。

勿論、御虫払い会もないので、結局、会の外の人が顕正会の御本尊様を見る事は不可能です。

顕正会は基本的には日蓮正宗の教義を根本としているはずなのですが、御本尊様の扱い方という点において宗門では「公にしている」、顕正会では「隠す」といった様な、大きな相違点が生ずるの一体如何なる理由があっての事なのでしょうか。

そうですね。

「御本尊様の相貌(そうみょう)を良く知る人が近くで見れば一目瞭然。顕正会の御本尊には○○がない!部分的に削除され、画像編集して印刷したニセ物だ!という事がすぐにバレてしまうから」

ということが容易に考えられる第一の理由でしょう。

勿論、会の内部の人のほとんどが顕正会の御本尊しか見たことがないのだから判りようがないでしょうし、学会から移られた方も、元々がニセ本尊なわけですから気付かないのでしょう。
また私が顕正会員時代に感じた事ですが、顕正会の御本尊を近くで見る事に非常に「罪悪感」を感じ、あまりジッと見ると罪障を積む様な気がして、怖くなります。これは勿論全ての顕正会員さんに当てはまる事ではないと思いますが、顕正会から法華講に移った方の多くが私と同じ事を感じている様です。

私が顕正会時代に先輩から聞いた話では「ある会員さんが入信勤行を終えた際、御本尊に指をさして、入信者に御本尊の尊さを説明した。するとその紹介者である会員さんはそれからまもなく突然死してしまった。」

御本尊に不敬があったからその会員に罰が当たったのだ、と支隊長は私に説明していましたが、果たして‥。

顕正会員達は、御本尊を信奉すると同時に、「必要以上に恐怖心が植え付けられている」ということが言えると思います。

そもそも、彼らはその御本尊について正しく学ぶ機会もありません。
教義信条に基づいた御下附の正式な手続きなど、知り得る機会がないのです。
だから、「大幅の御形木御本尊」と言われても、何か疑問を懐くということはありません。

「一念信解」というのは、会員に何も教えないことを美化して誤魔化しているだけのことです。

極めつけは、日蓮正宗の正しい御本尊に謗法意識の植え付けが行われているということです。

つまり「常住御本尊様」を目に入れさせないようにしています。

従って、顕正会員は比較対象物ないので、顕正会の御本尊に対し懐疑心を生ずることはありません。

外には御本尊を隠し、内に対しては顕正会の本尊に対して疑問を懐かせない様に、都合良く管理されていることに非常に悪意を感じます

顕正会 本尊 6

顕正会の本尊が“自前”の“偽作”ということであれば、既に破折し尽くされてきた創価学会の「ニセ本尊」と全くの同類であると断ぜられます。 (顕正会 本尊の過去記事を参照)
実は、顕正会、創価学会でも過去には、御本尊様の書写・授与、または開眼供養についての一切の権限は御法主上人の唯御一人にあらせられる事をハッキリと認めていたのです。

以下は、創価学会における過去の発言です。
------------------------------------
「末法の現在においては、絶対に戒壇の大御本尊様こそ、われわれが即身成仏できる生身の御本仏様であらせられ るのです。また、われわれがいただいている御本尊様も、文底事の一念三千、真の草木成仏の理によって開眼された、これまた生身の御本仏様であります。この御本尊様こそ、真の木絵二像開眼の御姿でなくてなんでありましょうか。これは日蓮正宗以外の邪宗では絶対になしえないところであり、ただ日蓮正宗のみのもつ深秘の法門であります。邪宗がいくら日蓮正宗の御本尊をマネて作ってみたところが、それこそ馬の骨なのであります。否、恐ろしい毒薬の働きをもつのであります」  (大百蓮華 第六十二号)

「ただ、大御本尊だけは、われわれは作るわけにはゆかない。日蓮大聖人様のお悟り、唯授一人、代々の法主猊下以外にはどうしようもない。だから、佛立宗や身延のヤツラが書いた本尊なんていうものはね、ぜんぜん力がない。ニセですから。力がぜんぜんない。むしろ、魔性が入っている。魔性の力が入っている」
(『大白蓮華』昭和34年7月号9頁・戸田城聖

「御法主猊下だけが、御本尊をしたためることのできる仏様なのです」『戸田城聖先生質問会集』
------------------------------------

●またその他、御本尊様の開眼供養に関する御金言、歴代御法主上人の御指南をまとめてみました。

------------------------------------

※過去記事に挙げましたが。
「開眼供養せざれば家に主なきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し」
(『木絵二像開眼の事』御書638頁

「開眼と云うは、眼を開くと云う事なり。魂なければ眼は開くべからず、開かざれば益も無く用も無し」
(第二十二世日俊上人『本門如来寿量品二十三座』

「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」『本尊問答抄』

「此の画木に魂魄と申す神(たましい)を入るゝ事は法華経の力なり(中略)画木にて申せば草木成仏と申す」『四条金吾釈迦仏供養事』

「金口血脈には、宗祖己心の秘妙を垂示し一切衆生成仏を所期する本尊の活眼たる極意の相伝あり」
(第五十六世日応上人『弁惑観心抄』

------------------------------------

また御本尊様の書写、授与に関する一切の権限は御法主上人唯御一人にあらせられる事。その文証についてもいくつか挙げておきます。

------------------------------------

「曼荼羅書写本尊授与の事は宗門第一の尊厳の化儀なり」(有師化儀抄註解)

「法体とは則ち吾山(大石寺)に秘蔵する本門戒壇の大御本尊是れなり(中略)此の法体相承を受くるに付き、尚唯授一人金口嫡々相承なるものあり。此の金口嫡々相承を受けざれば、決して本尊の書写をなすこと能はず。」 
(第五十六世日応上人『弁惑観心抄』

※過去記事に挙げましたが。
「木絵の二像は本と草木にて有り、然るを生身の妙覚の仏と開眼したまふ事は大事至極の秘曲なり、日蓮聖人乃至、日因に至る迄三十一代累も乱れず相伝是れなり」
(第三十一世日因上人)

※過去記事に挙げましたが。
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」

「四には先師先聖の模写版又は形木に平僧が自らの版形を加へ又は平僧自ら書写して判形(自己)まで加へたるもの等に分つを得べきか、此中に一と三とは事なかるべし、二は未だ広く実例を見ず、第四は大なる違法にして、是こそ正に本条の制誡なり」(有師化儀抄註解)

「然るに余門流の僧侶不相伝の儘猥りに曼荼羅を書き散して、僣越の逆罪とも思はざるのみならず、雑乱滅裂全き型式をだに得たるものなし、無法無慙の甚しきもの八大地獄は彼等の為に門を開けり、慎まざるべけんや」(有師化儀抄註解)

「曼荼羅書写の大権は唯授一人金口相承の法主に在り、敢て沙弥輩の呶々する事を許さんや」
(有師化儀抄註解)

詳しくはこちらをご参考に‥

顕正会 本尊 5

宗門史において御本尊を時の御法主上人以外の者が書写・作成し下附をした、という事実が只の一度もなかった事。
堀日亨上人の「富士宗学要集」の「有師化儀抄註解」文中の一節を文証としてここに掲載させて頂きます。

『有師斯(か)の如く時の宜しきに従ひて寛容の度を示し給ふといへど、しかも爾後数百年宗門の真俗能く祖意を守りて苟(いやし)くも授与せず書写せず・以て寛仁の化儀に馴るゝこと無かりしは、実に宗門の幸福なりしなり』


その他文証は顕正会 本尊 6へ

顕正会 本尊 4

大聖人様は『本因妙抄』に
「此の血脈並びに本尊の大事は日蓮嫡々座主伝法の書、塔中相承の稟承唯授一人の血脈なり」と。
御本尊の御事は全て唯授一人の御法主の掌中にあるのであって、他の誰人であれ、時の御法主上人を離れて、勝手に御本尊を作ったり授与したりすることなど、絶対に許されないのです。

また『木絵二像開眼供養之事』に
「法華を心得たる人、木絵二像を開眼供養せざれば、家に主のなきに盗人が入り、人の死するに其の身に鬼神入るが如し。(中略)法華を悟れる智者、死骨を供養せば生身即法身なり」
「法華を悟れる智者」の開眼供養によってはじめて草木の曼荼羅も仏の御生命と顕れることが明らかです。
では「法華を悟れる智者」とはどなたかと言えば、第三一世日因上人の御教示には
「木絵の二像は本草木にてあり。しかるを生身の妙覚の仏と開眼したもうことは、大事至極の秘曲なり。日蓮聖人乃至日因に至るまで三一代、累を乱れず相伝これなり」と。
大聖人の悟りを相承される御歴代上人こそが、その御方に当たるのです。

ここに、
御本尊は御法主上人が開眼供養され下附されたものでなくてはならない文証。

そして、
この正しい御本尊下附の因なくしては、果として功徳を生じない道理を示しました。

この裏付けがあって初めて本物の現証として成り立つのです。

顕正会の功徳らしき現証はみな『魔の小利益』だということですね。
ニセ本尊を拝んでいては絶対に成仏は叶いません!!

1人でも多くの顕正会員が一刻も早く日蓮正宗に帰依し、本物の御本尊様の前でお題目を唱えられるよう願っております。

顕正会 本尊 5へ

顕正会 本尊 3

では御本尊様に関して良く教わった事のない顕正会員の皆様に少し説明致します。
「常住御本尊」とは、御本尊様に授与書、即ち「願主○○」と授与された方の名前が書かれています。
「導師曼荼羅」とは、同じく授与書があり、葬儀にその御本尊をお供してお経の導師をされる「◇◇山○○寺住職△△」というように、寺院に下附されますので、その寺院の僧侶の名前が書かれています。
ということは、
個人に与えられた「常住御本尊」や「導師曼荼羅」は直筆ですので、「形木」というものは無いということなのです。
これらの御本尊に御形木が有るとなれば、誰かが「御形木」にしたということで、複製を作ったということなのです。
今様にいうならば、そっくりな物の数を増やす為にコピーをしたと言うことで、単純な製法による偽物です。
実際にネット上などでも闇取引的な感じでそっくりなニセ本尊が出回る事もるそうです。
しかし!
そっくりなんです!顕正会の本尊は!

創価学会は御本尊を自分のところで印刷している事を認めているようですが。

なぜ浅井会長は創価学会のニセ本尊を責めないのでしょう?

答えは浅井会長自身も同じ事をやっているからなのではないでしょうか

そう疑われても仕方がないですよね。御本尊を勝手に印刷するなんてそれこそ大変な事です。

「え!?だめなの?浅井先生にはその権利がある」なんて今更言わせません。

理論書のP68には
『日向・日頂等は御本尊の尊厳がわからなかった為に、大聖人御直筆の御本尊を「形木に彫む」すなわち版木におこして印刷し、それを信心もない輩に軽々しく授与していたのである。まことに不敬の至りである。』と。

69Pには
『近年本宗において、信徒の増加にともなって、やむなく信心決定するまでの暫定の仮本尊として、形木御本尊(印刷された御本尊)が下附されるようになった。』
と会長自ら最近始まった事を認めていますね。

つまり御形木御本尊は近年の御法主上人のものしかないということを会長自身認めていますし、相伝のない者が勝手に御本尊を印刷して使う事は不敬の至りだと自ら言っているのです。

わかりましたでしょうか?授与書きのない日寛上人や日布上人の御形木御本尊など存在しません!
あるとすれば、常住御本尊の授与書きを削り、印刷したものだということですね。

しかし顕正会員の方は言うでしょう。というより私が顕正会員ならこう反論します。

「もう時が来ているのだから、古いしきたりなんかどうだっていいんだ。事実『一切は現象に如かず』で私たちは沢山の功徳に溢れている!これこそ顕正会が御在世の信行に立ち返り、大聖人の御心に叶う仏道修行をしている証拠ではないか!御本尊様が本物な証拠ではないか!」

はい、
そんなに御在世とか、富士大石寺の源流とかいうのなら、御本尊に関する、大聖人様の御金言や歴代御法主上人の御指南を文証として拝してみましょう。

因みに邪宗でも癌が治ったとか、不思議な功徳のような体験が沢山あるんですよ。
理論書の296Pに『所詮、正しい道理と文証に裏付けられぬ現証はごまかしに過ぎない。ゆえに唱法華題目抄には「但し法門をもて邪正をただすべし、利根と通力とにはよるべからず」』とあります。

なんでも現証で事を済ませようと思っている顕正会員の皆さん。この浅井先生の御指導を心肝に染め、顕正会 本尊 4へ進もうではありませんかっ!!

顕正会 本尊 2 

まず『大幅の日布上人御書写の御形木御本尊』と『大日蓮華山脇書の日布上人御書写の導師曼荼羅の御形木御本尊』などこの世に存在し得ない御本尊なのです。
無論私、この世の全ての御本尊を確認して回った訳ではありませんが。これは宗門の御僧侶方が口を揃えて仰る事ですね。

なぜなら日蓮正宗においてこのような御本尊を下附した事実はないからです。

時は遡りますが、江戸時代辺りの話で、当時何れかの御法主上人が大石寺から遠く離れた(離島等)末寺では御本尊下付が難しかった為、一時期、御本尊を書写・下附する権限を猊下が末寺住職に対して与えた事があったそうです。しかし結局、御本尊は末寺で一度も作られる事はなかったのです。御本尊が宗門史において御法主上人以外の者に作られた事が只の一度もないというこの事実を堀日亨上人が言及されておられるのです。

それだけ御本尊に関しては、時の御法主上人の権限のもと、清浄に保たれてきた歴史があるということです。

また前記事でも引用させて頂きましたが。

平成11年4月25日『顕正新聞』
「ここに、松本尊能師は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並び日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。」

この、『妙縁寺に所蔵するところの』の発言は大変重要です。
これは松本氏個人所有の御本尊ではなく、寺院に代々伝わる御本尊、寺院所有の御本尊を勝手に浅井会長に手渡したということになります。
まさに公私混同した振舞であり、犯罪にさえ当たる行為ではないでしょうか。

このような手段で手に入れた御本尊を顕正会員は有難く拝めるでしょうか?

しかし顕正会員は言うでしょう、というより私が顕正会員ならこう反論します。

「顕正会が宗門と繋がっていた時に頂いた御本尊なのだから、御守護で手に入ったのだ。宗門は御遺命をなげうったのだから本来御本尊をもつ資格などないのだ!顕正会は御遺命を護り奉った功徳で不思議と当時その様な流れで御本尊を大量に頂く事が叶ったのだ!日布上人の御形木御本尊だって、浅井先生がこの世にない御本尊をあるなんて仰る訳がない、堕落した坊主と1人御遺命を死守せられた浅井先生とどちらの言葉に説得力があるか。所詮、不敬の御開扉を…ワーーーーーーーーーー…………!!!!」←(もうマシンガンの様に止まらない。特に婦人部)

ハイハイハイハイ!わかりました!わかりましたから一旦落ち着いて。
それでもまだ洗脳が解けませんか

それでは顕正会 本尊 3へお進み下さいませ。

顕正会 本尊

昭和60年3月15日『顕正新聞より』
「顕正会で護持している御本尊は、すべて日蓮正宗妙縁寺住職・松本日仁尊能師より授与され、私が護持申しあげてきたものである。(中略)妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進の為、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。松本尊能師には私の意を良くお聞き下され、自ら護持されていた大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅を私に託して下さった。この七幅の御本尊とは二八代日詳上人・五四代日胤上人・五五代日布上人・五六代日応上人・六十代日開上人・六四代日昇上人等の歴代上人書写の御本尊であり、このうちの日布上人書写の御本尊が高知会館に御安置されたのである」

上記の昭和60年発言により、浅井会長は松本氏より、


大幅の常住御本尊…日詳上人・日胤上人・日布上人・日応上人・日開上人・日昇上人等の歴代上人七幅
御形木御本尊…日寛上人数百幅


託された事になります。

しかしその後の平成11年4月25日『顕正新聞』

「ここに、松本尊能師は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並び日布上人の御形木御本尊を多数用意して下さったのであります。」

とあります。14年前の昭和60年にはなかった「日布上人の御形木御本尊」は一体どの様に手に入れたのでしょうか?

更にその後、平成15年2月15日『顕正新聞』

「また顕正会で格護する日布上人・日昇上人の四幅の導師曼荼羅について等、大事な指導を長時間にわたってなさ
れた」

とあります。4年前の平成11年にはなかった「日布上人・日昇上人の導師曼荼羅」は一体どの様にして手に入れたのでしょうか?

それから更にその後、平成19年10月5日『顕正新聞』

「ゆえに私は、将来大規模な広宣流布の戦いに備えて、地方会館に安置し奉る大幅の日布上人の御形木御本尊と、自宅拠点に懸け奉るべき日寛上人の御形木御本尊を、松本尊能化にぜひ用意してくださるよう。敢えて願い出て、これを授与して頂いたのであります。このとき更に松本尊能化は『大日蓮華山大石寺』の脇書がある導師曼荼羅の御形木御本尊まで、六幅授与して下さったのであります」

とあります。

今度の発言では「日布上人の大幅の御形木御本尊」「大日蓮華山脇書の導師曼荼羅の御形木御本尊六幅」増えた事になります。

わかり易い様に最初の昭和60年に所持していた御本尊を『赤』その後増えた御本尊を『青』。で書きました。年数が経つと本尊が増えるという顕正会。浅井会長はどのような手品を使って本尊を増やしているのでしょうか?

顕正会員は言うでしょう。というより、私が顕正会員だったときならこう反論すると思います。
「浅井先生は最初から所持している御本尊を全て明かさないで、時に応じて徐々に私たちに公表して下さっているだけだ!増えているわけではなく初めから持っていたのだ!」

はい、浅井会長の『二枚舌』を『先生の御慈愛』と信じて疑わない可哀想な顕正会員の皆さん。
「私もそうでした」
その様な方は続いて顕正会 本尊 2へお進み下さいませ。












上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。