[現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】 ]

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] |トップページへ戻るスポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

「冨士」昭和43年11月号(P5~6、P11~12)“本門戒壇について日淳上人の御指南(昭和31年御会式の砌)”

冨士昭和43年11月号P5 日淳上人 本門の戒壇
冨士 昭和43年 11月号 6ページ 日淳上人 本門の戒壇


冨士 昭和43年 11月号 11ページ 日淳上人 本門の戒壇
冨士 昭和43年 11月号 12ページ 日淳上人 本門の戒壇


【日淳上人御説法】(昭和31年御会式の砌・於東京)

大聖人様御一代の御施化導の括りは三大秘法にあるのでありまして所謂本門の御本尊、本門の御題目、本門の戒壇の三つであります。即ち南無妙法蓮華経の御本尊様とこの御本尊様に向って南無妙法蓮華経とお唱えすることが本門の題目、又御本尊様を御安置申上げ、お題目を唱える処が本門の戒壇であります。

◎三大秘法の開合の相
本門の本尊は法と人とになり、戒壇は事と義とになり、題目は信と行とになるのであります。
三大秘法は開合致しますと斯様になるのでありますが、此の三秘の関係はまことに重要なことでありまして、此れを誤ると大聖人の御法門は正しく拝することは出来ないのでございます。
(中略)
戒壇とは御本尊の在しますところを申し上げるのでございます。
而して大聖人の御化導は一人一人の衆生を御導きなさるのは勿論であらせられますが、究竟の所は一閻浮提一同の人々有知無知をきらわず南無妙法蓮華経と唱へせしめるにありますから、本門戒壇を建立して、その戒壇堂に安置し奉る御本尊が御一代究竟の御本尊であらせられるのでございます。
それ故御本尊に於いても此の戒壇ということを以って拝さなければ大聖人様の御一代の御化導を正しく拝し奉ることは出来ないのであります。

―――――――――――――――

前々回の記事にて日布上人の本門の戒壇についての御指南を掲載致しましたが、今回は顕正会にとって無二の恩師である日淳上人の御指南です。

念の為再度確認しておきます、以下は浅井会長の三大秘法、本門の戒壇についての解釈です(折伏理論書より)

「本門の戒壇とは、三大秘法抄・一期弘法付嘱書に示されるように、広宣流布の暁に一国の総意・国家意思の表明を以て、この“戒壇の大御本尊”を安置し奉るべく建立される大霊場である。この本門戒壇の建立こそ仏国実現の秘術であり、大聖人が滅後の門下に託された唯一の御遺命である。」

日淳上人の御指南を虚心坦懐に拝してみましょう。
まず広宣流布が究竟した暁に本門の戒壇の大御本尊を安置すべく建立される戒壇。つまり御遺命の戒壇を指して“本門の戒壇”と定義している点においては浅井会長の認識にほぼ齟齬はないと思われます。(とりあえず一旦ここでは国立とかいうのはスルーしておきます)
ただし未だ建立されていない戒壇のみをもって本門戒壇と定義づけてしまったら、必然的に本門戒壇は今現在は建立されていないことになります。
それでは三大秘法は現在“未完成”の状態だというのでしょうか。
将来顕正会の戦いによって三大秘法を完成させると…未完成のパズルに最後の1ピースをはめ込むように顕正会の手によって三大秘法の御化導コンプリートみたいなイメージでしょうか。
考えてもみて下さいよ。
そりゃぁ本門の戒壇の大御本尊は浅井会長が考案・作製したものであれば、その道理は頷けます。
けれども戒壇の大御本尊様を御図顕し御建立されたのは仏様です。三世了達、法界即我が身の大知恵といった“仏力”によって始めて成せる仏事なんですよ。
ということは本門の戒壇についても根源は一大秘法から開いた中の一義ですから、これも当然仏力が及んでいなければその義は立ち得ないんです。
本門の題目にしたって、本門戒壇の大御本尊を信じて唱えることをもって義が成り立っているわけですから、実践するのは我々だとしても、結局は仏様がお立てになられた化法・化法という大慈悲の恩恵に浴しているというだけのことですから、根源の仏力なくしては結局題目ということも成り立ちませんよね。

事の戒壇未だ無しだなんて…大体が事と義の二義で構成されている以上は、一方が欠けてしまえば当然そのもの自体が成り立たないということなってしまうと素朴に考えてみて下さい。
そもそも題目だって、信じる心のみあって、唱える口や合掌する手そのものが無ければ成り立ちませんよね。

つまり浅井会長は事の戒壇・本門の戒壇をこの手で成就させるといっているんです。作るということです。
天上天下唯我独尊と言っているに等しいんですよ。

ここんとこ、顕正会員さんはかなり疎いはずなんで、結構理解に苦しむと思います。
前々回の日布上人の御指南と併せて、とりあえず勤行そっちのけで100回くらい声に出して読んでみて下さい。「もうこれで完全に本門戒壇に対するバイアス払拭できました!」って自信がふつふつと湧いてきた人は、もう一度理論書の124P辺りを確認してみて下さい。

事の戒壇はこの世に既に存在しているんですよ。
もし我慢されているのなら、健康に良くないですから(笑)行ってみることを検討してみて下さいね。
なかなかいいとこですよ。
こんな風に↓
冨士とまき
スポンサーサイト

「冨士」昭和42年8月号(P4~5)“永遠の鉄則。御奉公は22時まで”

 記事はこちらに移転しました。

「冨士」昭和41年3月号(P1~4)“本門の戒壇について日布上人の御指南”

冨士昭和41年3月号 P1 にっぷ上人戒壇
冨士昭和41年3月号 P2 にっぷ上人戒壇
冨士昭和41年3月号 P3 にっぷ上人戒壇
冨士昭和41年3月号 P4 にっぷ上人戒壇

P2より~「即ち御本尊は体であって此の御本尊のおわします所を戒旦といい、此の御本尊の御名を南無妙法蓮華経と申す題目であるから自づと戒旦と題目の二は本尊の一に納まる。これに依って此の御本尊をば三箇総在の独一の本尊と名づけ奉るのであります」

――――――――――――

上掲は総本山大石寺55世“日布上人”の本門の戒壇についての御指南です。
これに対して、浅井会長(顕正会)では本門の戒壇についてどの様に解釈されているのでしょうか?以下、折伏理論書の該当箇所を引用します。

「本門の戒壇とは、三大秘法抄・一期弘法付嘱書に示されるように、広宣流布の暁に一国の総意・国家意思の表明を以て、この“戒壇の大御本尊”を安置し奉るべく建立される大霊場である。この本門戒壇の建立こそ仏国実現の秘術であり、大聖人が滅後の門下に託された唯一の御遺命である。」

これを顕正会では国立戒壇と称しているわけですね。

つまり「本門の戒壇」=「国立戒壇」。これが浅井会長流解釈。

『御本尊おわします(御安置されている)ところが本門の戒壇』。これが日布上人の御指南。

なぜこのように解釈のズレが生じてしまったのか。

これは、単純に浅井会長が三大秘法の法門に疎いということに他なりません。

ついでに更に堀り下げて、浅井会長流の本門の戒壇の「事と義」のたて分けについて拝見してみましょう。

以下。再度折伏理論書より該当箇所を引用します。

「戒壇の事と義とはどういう意味かといえば、事とは事相(事実の姿)、義とは義理(道理としてその意義がある)の意である。
すなわち、大聖人が三大秘法抄等に御遺命された本門戒壇は、広宣流布の時が至って始めて“事実の姿”として建立される。ゆえにこの御遺命の戒壇を事(事相)の戒壇というのである。
では、広宣流布以前において本門戒壇の意義がないのかといえばそうではない。たとえ広布の時至らず未だ事の戒壇の建立はなくとも、事の戒壇に安置奉るべき本門戒壇の大御本尊まします上は、その所は義として本門戒壇に当る。
ゆえに日寛上人は
『未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しといえども、すでに本門戒壇の御本尊存する上は其の住処は戒壇なり』
と仰せられている。これが義の戒壇である。
また日興上人以下嫡々歴代書写の御本尊安置の道場も、遠くは枝葉として義の意味を持つ。
以上が冨士大石寺伝統の、本門戒壇の事と義についての定義である。」

…。
そうすると、現在の奉安堂は道理の上で国立戒壇だということでしょうか…。

ちなみに、三大秘法抄中の戒壇義における事とは、迹門・文上脱益の理の戒壇に対して区別されたもので、本門戒壇中の事と義の立てわけについて教示されたものではないですね。ここは非常にややこしい部分だと思うので、詳しくはこちらをご参考に。

「冨士」昭和41年2月号(P3)十大部を刊行“”


41年二月号三ページ

「研修部より松本日仁尊能師校訂に依る十大部を刊行」

――――――――――――

この御書の「十大部」ですが、なぜ現在では販売されていないのか?
「当門流に於ては御書を心肝に染め‥」との日興遺誡置文に照らして考えると、甚だ疑問です。
しかし、この十大部発刊を機に、その後妙信講においては、十大部を繰り返し拝読し、心肝に染めることが当時活動の一大方針として定められ、会を挙げて行われていたことは確かなようです。

ちなみに十大部とは、

◎唱法華題目抄
◎立正安国論
◎開目抄
◎観心本尊抄
◎法華取要抄
◎撰時抄
◎報恩抄
◎四信五品抄
◎下山御消息(下山抄)
◎本尊問答抄

古参の顕正会員さんであればいざ知らず。近年入会された顕正会員さんであれば、これらの御書の中で聞き慣れない、もしくは存在自体を知らない御書が一つだけあるはずです。

そうです。実はこの、「本尊問答抄」では御本尊様の開眼供養について御教示されている箇所があります。
即ち、
「木像画像の開眼供養は唯法華経にかぎるべし」
よって、顕正会員さんは「開眼」という言葉について知り得る機会がありません。

この「開眼供養」について顕正会側(浅井会長)は、「秘密にしている」「隠ぺいしている」ということです。悪い言い方かもしれませんが簡潔に言えばそういうことです。

勿論、宗門の化儀についてお詳しい会長先生は、このことについても良くご存知かと思われますから、現在顕正会で安置、下附している御本尊についてもあくまで「日蓮正宗時代に頂いたもの」「開眼供養済みの本尊」ということに何が何でもしておかなければならないわけですね。

ただし、もし「開眼供養」の義が顕正会員に知れ渡ってしまったら、そのことについて会の内から追求される事態にもなりかねませんから、あえてそのような御書は現在は積極的に取り扱わないというわけです。

そのことは何を意味するのか、顕正会員さんはよ~く考えてみてもらいたいと思います。

【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和41年1月号(P3~7)“登用試験の問題”

まもなく顕正会では毎年恒例の教学試験が実施されますね。
近年の登用試験の問題は全て穴埋めの至って簡単な問題ばかりですが、妙信講時代は全て記述の問題だったようです。
以下に昭和四十年に行われた登用試験の内容を掲載してみます。

【問題一】
「日蓮といゐし者は、去年九月十二日子丑の時に頚はねられぬ。此は魂魄佐土の国にいたりて、返る年の二月雪中にしるして、有縁の弟子へをくれば、をそろしくてをそろしからず。みん人、いかにをぢぬらむ。」の御文の意義を説明しなさい。

【問題二】
大聖人の御一代の施化に於て「熱原の法難」のもつ意義を記しなさい。

【問題三】
大聖人の御法は残る所なく日興上人・日目上人に次第付属されている事を文証を挙げて説明しなさい

【問題四】
五老僧の退転は何処にその原因があると思われますか。

【問題五】
「末法の観心」を説明しなさい

【問題六】
勤行の時、方便品と寿量品を読誦する理由を説明しなさい。

【問題七】
邪宗で唱える題目と当宗の「本門の題目」との違いを説明しなさい。

【問題八】
「宗教は自分の好きなものを選べば良い」という偏見を破折しなさい

【問題九】
宗教批判に於て三証具足とはどんなことですか。

【問題十】
正法・像法。末法の三時に於て弘通される仏法の順序次第を記しなさい。

答案は個々の研鑽にお任せしたいと思います。

「冨士」昭和40年11月号(P1~3)“なぜ教学が必要か”

なぜ教学が必要か1
なぜ教学が必要か2
なぜ教学が必要か

教学は熱烈なる求道心から始まるのだ

―――――――――――――――

「難しい事は必要ない、一念信解で良い」という今の考えとは180度違いますね。
近年は簡単な同じことばかりを繰り返し教え、難しい教義の指導はめっきりなくなりました。

時代が教学を必要としなくなったのでしょうか?いや、そうではなく「邪魔」になっただけでしょう。

現在を「広宣流布のギリギリの最終段階」というのであれば、今後更に激化する折伏戦に備え、教学部の一層の拡充を早急に図るべきではないのでしょうか?

【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和40年6月号(P8~9)“当時の浅井会長の正本堂に対する見解”

正本堂への御供養
富士昭和40年6月号 正本堂供養2

いよいよ意義重大なる正本堂が建立される事になります。
戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。
この宗門全体の意義重大なる慶事に、妙信講も宗門の一翼として講中の全力を挙げ、真心を込めて猊下に御供養をさせて頂くことになりました(拍手)
(中略)
この大御本尊様は、大聖人様より日興上人へ御付属せられて以来広布の時を待って、歴代御法主上人によって厳護せられて来たのであります。
(中略)
その御本尊様がいよいよ時を得て徐々に大衆の中に御出ましになる。
(中略)
いよいよ大衆の中に人類の中にその御姿を徐々におあらわしになる。

―――――――――――――――――

この時、浅井会長は初めて正本堂の意義について公式に見解を示しました。

正本堂の御供養に参加したことは、多くの顕正会員さんがご存知かと思います。
しかし、その当時の浅井会長の正本堂に対する公式見解、発言を事実のままに知る人は少ないでしょう。

発言であるように、大衆の中に「お出まし」ということは、「広宣流布達成」と同意義の発言ということになりますから、当時浅井会長は正本堂を指して「御遺命の戒壇」と言っていたに等しいのです。

今の顕正会の見方に沿って考えれば、当時浅井会長も「御遺命破壊に賛同」していたということになってしまいますね。

「冨士」昭和39年2月号(P33)“四悉旦(ししつだん)”

冨士昭和39年2月号33ページ

次に四悉旦を云えば、為人・世間・退治・第一義です。
悉旦とは、あまねく施すという事、仏が法を大衆にあまねく施すに当っての四つの御配慮とでもいえるのでしょうか、まず為人です。弟子といっても個人個人によって性質・信心・教学の力が異なる。それに応じて指導遊ばすのが為人悉旦です。
世間悉旦は時の社会情勢、世間の常識、楽欲に応同して法をお説き遊ばす。
退治悉旦は相手の固執する邪義を打ち破る事を前提としての論法です。
同じ法門を語るにしても、講義と法論とでは全然違うでしょう。
法論には法論の方法、こちらの肚構えがありますよ。まず破折して正法に屈服させようと、これを弁えなければお人好しです。邪義は粉砕できません。早勝問答を拝見して御覧なさい。
さて最後に第一義悉旦、これは相手の機根の如何にかかわらず真実第一義を真正面から説いていくのです。
この四悉旦を以て大聖人様は我々を強く御化導遊ばしていらっしゃるのです。
四条さんには四条さんの、富木さんには富木さんの性格、楽欲が違う、四条さんの純信、富木さんの博学といっても尚、大聖人様は機根に随って順々に文底の仏法に御導きなのであります。
だから此の章のあとで出て来ますが、四条さんと富木さんが釈迦の立像を立てた事に対してお褒めあそばした御書があっても次第誘引の善巧方便であります。
当時の社会をみてごらんなさい。まわりは全部弥陀念仏の徒ばかりで、その中に大聖人仰せの一分を信解してたまたま釈尊を立てているのです。
お褒め遊ばすのは当然です。その上に次第に深きに至らしめて三大秘法に至るのです。
大聖人様のお慈悲は計りしれないのです。
此の様に、御書は広い立場から拝読せねば真意を誤るのであります。

――――――――――――――――――

先日の顕正会での御大会式の席上、浅井会長は講義の中で、「為人悉旦」ということを口にしたようですが、現在顕正会で手に入る書籍の中で、この御法門について触れているものはなかったと思います。
たしか御大会式の講義が掲載されるのは、11月25日号だったでしょうか?そろそろ「出来」する頃でしょうか。
冨士の中で、四悉旦について解説されている箇所があったので、取り上げてみました。あくまでご参考程度にどうぞ。

浅井会長は、国立戒壇の名称を放棄したから宗門は間違いと主張しますが、現代社会における「国立」の意味と、上掲の「世間悉旦」の御法門と合わせて考えてみると、自ずと見えてくることがあるかと思います。

「社会情勢」や「世間の常識」とは、時代によって変化することですから、それに伴って、名称の持つ意味合いも時代によって変化せざるを得ないということですね。

また、顕正会員で四条殿や富木殿が「釈迦の立像を立てた」という事実を知る人は少ないことでしょう。
「御在世の信行に立ち返った」、だなんて良く言えたものだなぁと思います。

【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和39年1月号(P5)“昭和48年までに10万世帯”

冨士昭和39年1月号5ページ

向う十年間、昭和四十八年までに十万世帯の折伏を成し遂げたいと決意するものであります。(大拍手)

――――――――――――――――――

この時、浅井講頭先生より、このような誓願が打ち出されたわけですが、これは達成されたのでしょうか?
下はそれから約10年後の昭和47年11月号「冨士」

冨士昭和47年11月号4ページ

十万世帯、昭和五十六年までに達成せん。

――――――――――――――――――

あぁ、やっぱり。出来なかったんですね。
それと「誓願の引き伸ばし」は既にこの頃から顕正会の専売特許だったんですね。
因みにこの昭和47年11月の時点での会員総数は「一万世帯」。
志を高くもつのは良いけれど、達成率が十分の一というのはいかがなものかと思います。

【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和38年12月号(P12~16)“正しい勤行”

冨士昭和38年12月号P12 五座三座の勤行
冨士昭和38年12月号P13 五座三座の勤行 2
冨士昭和38年12月号P14 五座三座の勤行 3
冨士昭和38年12月号P15 五座三座の勤行 4
冨士昭和38年12月号P16 五座三座の勤行 5

―――――――――――――――――――――

現在顕正会で行っている勤行とは全然違いますよね。
いつからか定かではありませんが、浅井先生の一存によって勤行の形式まで変えられてしまったのです。
日蓮正宗ではこの「五座三座の勤行」を実践しております。
最後、五枚目の写真の「合掌及び目の位置」に補足を加えれば、合掌は口の前ではなく「胸の前」。目線は「妙」の字に焦点を合わせるのが基本です。

「冨士」昭和37年10月号(P35)“偽本尊の定義”

冨士昭和37年10月号35ページ




「諸宗は悉(ことごと)く本尊に迷えり」
大聖人からの付属もない者が勝手に作り上げた偽(にせ)本尊である。

―――――――――――――――――――――

対境とする本尊を謬(あやま)った場合、発する智慧も行動もおかしくなってくる。

謬れる本尊とは、大聖人からの付属もない者が勝手に作り上げた偽(にせ)本尊である。

顕正会の会館に置かれている「日布上人の大幅の御形木御本尊」は、日蓮正宗で下附された記録のない、出処不詳の御本尊です。
であれば必然的に、顕正会が自前で作成したモノだと断定され、それを信仰の対境とする顕正会員の智慧も行動もおかしくなってきます。

顕正会に付属がないのであれば、それは「偽本尊である」と浅井先生は仰せなのです。

「ある」という顕正会員さんは、「そもそも付属って何?」と聞かれても良くわからないのに適当なことを言わないで下さいね。
【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和37年6月号(P30)“八品門流を破す”

冨士昭和37年6月号 P30 相伝にあらずんば知りがたし

結局は相伝が無き故に八品(はっぽん)門流に於(おい)てはその邪義が生じてくるのである。仏法は令法久住の為(ため)必ず唯授一人(ゆいじゅいちにん)の相伝即ち血脈相承がある。(中略)八品門流は何処に相伝が有るか、知ろう筈がない。(中略)他宗に於ては口に題目を唱え、手に御書を持って勉強しても、仏法の奥底(おうでい)を究める事は不可能である。

――――――――――――――――――

顕正会員は何処に相伝が有るか、知ろう筈がない。
顕正会に於ては口に題目を唱え、手に御書を持って勉強しても、仏法の奥底を究める事は不可能である。

まさか、八品門流に対しての破折が、そのまま未来の顕正会を破折することになろうとは、思いもしなかったでしょうね。

顕正会員さんには是非、「今、相伝は何処にあるんですか?」と先輩に質問してみることをオススメします。

私は、総支隊長補に「わからない」と言われました。
【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和37年2月号(P25)“御法主上人に随順する信心”

冨士昭和37年2月号 御法主上人に随順


御法主上人に随順(ずいじゅん)し信心して行けばよいのです。

―――――――――――――――

やはりこのことが一番大事ですよね。日蓮大聖人の仏法を実践するというのは、つまりこういう事です。
現在は「浅井先生に随順する信心が大事」ということになっていますが、いつの間にか随順すべき人がすり替わってますよね。
原点に立ち還りましょう。
【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和37年2月号(P1)“誇るべき伝統”

富士昭和37年2月号 教学について

折伏に当っては道理の剣を以って邪見を払わねばならぬ、教学なくして何で成し得ようか。

『行学は信心より起こるべく候』と大聖人は仰せらる。勤むべき行を為さず、励むべき教学を怠(おこた)ればそれは信心の弱い事を如実に物語っている。

―――――――――――――――――――――

これと比較して、現在の浅井先生の指導はというと

「折伏とは功徳(御利益)の讃嘆行」

「御法門の難しいことは何も解らなくとも良い。一念信解で良い」

ですね。

なぜ指導の内容がその様に変化してしまったのか、
と言うより、変化せざるを得なかったというのが本当の事情でしょう。

その事情とは?
顕正会員さんには、心を静めて良く考えてみてもらいたいと思います。
【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】

冨士の表紙

現在、現役顕正会員の中で、【冨士】の存在を知っている人は少ないのではないでしょうか?
【冨士】とは妙信講時代、昭和36年9月号を創刊として、その後、平成10年2月号をもって廃刊とされた、顕正会発行の“教学誌”です。(※上掲の写真は、H10/2号【冨士】の表紙)

私が顕正会に入会したのは廃刊されてからずっと後の平成18年ですので、当時組織内において【冨士】のことを口にする人はおりませんでしたが、たまたま私の上長は教学に対する関心が深かったために、会話の中で【冨士】の存在を知り得る機会がありました。

教学研鑽をするにしても、顕正会で用意されている資料といえば、折伏理論書と南無日蓮大聖人、解説無しの御書の小冊子くらいしかありませんので、【冨士】の存在を知った時、私は是非とも目を通してみたいと思いました。

すぐに、上長宅に眠っている【冨士】を貸して頂きたい旨を懇願しましたが、残念なことに上長は難色を示しました。結局その上長から私の手元に【冨士】が渡ることはありませんでした。

「過去の浅井先生の御指導を掘り返すのは良くない、現在の御指導が最も重要である」と、繰り返し指導されておりましたので、こちらも、「あまり追求し過ぎるのも害なのかな?」と思う反面、「何か知ってはいけない裏があって、隠しているのでは?」といった猜疑心も少なからずありました。

結果、諦める他はなかったわけですが、一方で「もし知ってはいけない事実があったとして、それを知ってしまったら自分は顕正会活動から離れることとなってしまうのではないか?」という恐怖心もありました。

まもなくしてその上長は、平成14年~18年までの顕正新聞を私に手渡してきました。
【冨士】ではありませんでしたが、それでも、その上長のお心遣いが大変嬉しく、またその後の私にとってそれは教学研鑽をする上で最も貴重な資料となったのでした。

思えば上長であったH支隊長も、当時、素直に【冨士】を私に手渡せなかったことは、きっと心苦しかったのだろうと思います。

現在の浅井会長の指導といえば、総幹部会では凡そ仏法とは関係のない国際情勢の話がメインであり、肝心な仏法の話は少なく、しかも同じ内容を繰り返すばかりの大変お粗末なものに成り下がってしまった感は否めません。

御書講義もいつの間にか無くなってしまい、顕正新聞の「やさしい教学」のコラムも打ち切りになってしまったようです。

「もっと仏法のことを知りたい!大聖人様の御事や大石寺の歴史についてもっと学びたい」といった素直な心をもつ会員は奇異な会員として異端児扱いされ、排斥される。

きっとそのような現状ではないでしょうか?

更に、「ネットの情報は全て学会の謀略」「宗門から発行されている書籍は謗法」という観念まで植え付けられており、これでは顕正会員が顕正会で発行されている書籍以外のツールを利用して、調べ、研鑽する余地すらありません。

「浅井先生の過去の御指導」は、唯一信用をおける情報源であることに違いありませんが、そういったものの存在は内部では完全に隠ぺいされており、触れる機会が絶たれてしまっているのです。

【冨士】の創刊号にて、現会長の父である浅井甚兵衛講頭先生は「誇るべき伝統」と題し、以下の様に仰っています。

「若(も)し正しき仏法に値(あ)っても、その拠り所である教学に励ずしては、自家の宝も持ちぐされ、確信も自覚も生れ出ない、(中略)より広く知りたいと思うは当然であり、知って更に信は深まって来る。(中略)励むべき教学を怠ればそれは信心の弱い事を如実に物語っている。」

一体何故、現在の顕正会では、教学を蔑ろにしているのでしょうか?また何故、過去の浅井先生の御指導は隠ぺいされるようになってしまったのでしょうか?

その理由は、「顕正会員が仏法の教学に明るくなってしまっては都合が悪いから。」また、「浅井先生の指導の内容が、過去と現在では大きく異なっているという事実をひた隠したいから」に他なりません。

しかし本物の求道心があれば知りたいと思うのは当然の事です。全て知った上で受け入れる、疑問を溜め込むのではなく、「疑問を一つ一つ無くしていく努力」こそ、「無疑曰心」(むぎわっしん)の精神に適った姿であり、日蓮大聖人の仏法を実践する上で心得なければならない信条ではないかと思うのです。

そこで、仏法を学ぶ意欲溢れる、柔和で正直な顕正会員さんの求道心に応えるべく、当ブログにて【冨士】の中から重要と思われる箇所を選り抜きして、少しずつご紹介させて頂くことに致しました。

また法華講員の読者の方々には、顕正会破折の際の一助として利用して頂ければ幸いです。









上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。