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富士大石寺を詐称

私がまだ顕正会に在籍していた頃、一緒に諫暁書を配布していた先輩は、
「こんにちは~!富士大石寺の者ですけど~!」
と言って訪問します。

また私と供に顕正会から法華講へ移った方は、同じく諫暁書配布の際、
「日蓮正宗です!」
と言っていたそうです。

名前を騙るのは、詐欺師の常套手段です。

猊下様は創価学会を現代の一凶と位置付けられました。
特に古い世代の方には創価といえば宗教団体、といったイメージが強い感がありますが、その他の世間一般からは「あぁ、公明党ね~」くらいで、日蓮正宗とは切り離された印象が定着している様に思えます。

しかし、顕正会は「我こそが富士大石寺」と公に世間に宣伝し、世間法を無視して、傍若無人に振る舞います。
諫暁書も大量無差別にばらまかれ、顕正会の名称の頭に「冨士大石寺」なんて入っているものだから、その人が良く目を通してもらわない限り、「なんだ!大石寺が配っているのか」と勘違いされたまま、イメージが根付いてしまいます。
違う団体だと認識してもらったとしても、まるで日蓮正宗の代理団体の様に思われてしまうかもしれません。

今、私がこうしてブログを書いている間にも、どれだけの希望に満ちた若者が顕正会の勧誘を受け、騙されている事かわかりません。
純粋な若者が、顕正会に入り、「日蓮大聖人の仏法もどき」に熱中して、親親戚に多大な迷惑をかけ、本来勉学に励むべき、一生涯の基となる貴重な時間を奪われ、やがてハッと我にかえり、「仏法なんてもう懲り懲り」といって大事な大事な「信仰心」までなげうってしまう、その事こそが本当に不憫でなりませんし、同時に顕正会に憤りが湧いてきます。

もし顕正会ではなくて、初めから日蓮正宗に縁できていればそれらの人達の人生はきっと大きく拓けていたでしょう。

勿論、個人と仏様の縁の問題ですから、全て顕正会が悪いと考えるのは仏法の考え方ではありませんが‥
しかし、
「若し善比丘あって法を壊ぶる者を見て置いて呵責し駈遣し挙処せずんば当に知るべし是の人は仏法の中の怨なり」
ですから、謗法を徹底的に破折していくことが自身の仏道修行においても大変重要なことです。

顕正会。
とにかく、こんな悪い団体は前代未聞です。
これからも、ブログを通して、悪の手段や実態を暴き、同時に日蓮正宗の素晴らしさを伝え、1人でも多くの方を救える様、尽力していきたいと思います。

顕正会事件一覧はこちらから
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【相手への怨嫉(おんしつ)を乗り越えるには】

『遥拝勤行』の誤りについて 3 『信心の血脈』

前記事の続きになります。

“遥拝勤行”がいかに思い上がった考え方かという事を認識して頂くためには、『信心の血脈』に関しての理解が必要です。

例えば、水の沢山溜まった“ダム”があるとします。その水を「許可なく」勝手に引いてきて、使っても良いと思いますか?

功徳は良く「水」に例えられますが、顕正会でも入信勤行の際「この本門戒壇の大御本尊様はあらゆる功徳が収まり、具わっております」と教えられます。
ですが、もしその功徳、貯水を許可無しに使っているという事なのであれば、それは犯罪なのです。

またもし、別の例えをするならば、携帯電話がいかに遠く離れた人とも会話する事ができる便利な道具であったとしても、回線の契約が必要不可欠なのであり、使用する本人自身が然るべき手続きを踏んだ後、初めて利用が可能となるわけですね。

では具体的にどの様な手続きを取れば良いのか、どなたの許可を得れば良いのかといいますと、

当然「日蓮大聖人様の許可を得なければならない」という事になるのであり、その「日蓮大聖人様が定められた手続きに則る」事が必要条件となってくるわけですね。
要するに、信心の対境である法体の大御本尊様は即、人本尊、日蓮大聖人様なのであり、生身の御仏であられるという事です。

しかし現在、大聖人様の許可を得るといっても、既に700年以上前に御入滅されているわけですから、物理的に不可能ではないかという事になってしまいますが、令法久住の大白法がそんなチャチなものであるはずがありません。

御本尊七箇之相承には、

『代々の上人、悉(ことごと)く日蓮と申す意(い)なり』

と、この様に御相伝されています。

では現在、大聖人様の意を継いでおられる代々の御上人は一体どなたかといえば、「総本山第68世、日如上人猊下」であらせられます。
考えるべきは、昭和49年、顕正会は日蓮正宗から解散処分を受けて追放され、以来現在に至るまで御法主上人猊下に認められていない団体なのだという事なのです。

現御法主上人猊下の許可を得ていないという事は、上記の御文を拝せば、「大聖人様の許可を得ていない」という事に通ずるわけであり、仏意に適わぬ己義なのです。

つまり信じて遥拝すれば「大御本尊様に直接通じる」などというのは単なる「妄想」に過ぎないということですね。

総本山富士大石寺において、中興の祖と仰がれる「第九世日有上人」は「化儀抄」の第四条に、次の様に仰せです。

「手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能(よ)く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此(か)くの如く我に信を取るべし、此(こ)の時は何(いず)れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり」
<現代誤訳>
「自分の直接の師匠に当たる方の身には、一切の仏を含め、御本仏大聖人已来の御歴代上人のお悟りが貫かれ、宿っているのであるから、師匠となる方の心を確りと受け止めて、心に定めて信じ従っていくべきである。又、私日有の弟子にあっても同様に、直接の師匠である私を信じて修行していきなさい。手続の師匠を信じて仏道修行に励む時は、誰もが妙法蓮華経という大聖人の悟りを心身と全く同じ仏の境界となるのであり、これを即身成仏をいうのである」

この中で仰せの「手続の師匠の所は…」というのは、日有上人御自身、自分の手続の師匠となられた総本山第八世・日影上人に対して信心を取り定めたことで、大聖人様の仏法を体得し、血脈を授かる立場となったことから、私の弟子達も同様に、直接の師匠を信じて修行を積むことで、必ず、仏力・法力を授かる身となることを教えられているのです。

『遥拝勤行』の誤りについて 2

前記事の続きになりますが、『千日尼御返事』御述作の背景とそこに含まれている本意たるものを顕正会員さんが柔和な心で実直に拝した場合、信仰上の組織の在り方について、現在の顕正会の組織論に相反する大きな相違点が存する事にお気づき頂けるかと思います。

そうです。大聖人様は阿仏房夫妻、国府入道夫妻の信仰上での組織形態を『一家・世帯』とし、一括りにして捉えておられるわけですね。

顕正会でも、顕正新聞に「信心の語り合いで一家和楽」等の記事をしばしば見かける事はあります。
しかし、基本的には男子・女子・婦人と三者にハッキリと分けられいますから、少なくとも同じ先輩から指導を仰ぐという事は一切ないという事は言えます。
決定的な違いはそこで、法華講の場合夫婦や親、兄弟であっても「支部」が同じであれば、共通の指導教師から指導を仰ぐのであり、各々の家庭の事情や個々人における家庭内での立ち位置、生活面での役割等を一通り把握した状態の上で指導教師が仏法の眼から仏意に叶ったアドバイスを下さるのです。
一家が生命活動の営んでいくにあたり、例えば家族の中に乳呑児がいれば、夫か特に妻が世話をしなければならないわけですが、顕正会では仮に両者の会合の日程が被ったりした場合、どちらかは御奉公ができない、功徳が積めない、と偏った考えに陥り、上長も大概は家庭の状況など汲んでくれないわけです。
ただ、全ての顕正会組織が今述べたままに当てはまるとは限りませんが、私の体験談として、婦人部大会の時、男子が送迎をする事に対し、部長は「そんな暇があったら折伏しろ」と同じ家庭内の顕正会員に対して、あからさまに非協力的な指導がありましたし、妻と一緒に折伏した対象者(男性)を私の紹介という事にして男子部で入信させた時、妻はその後婦人部長に「なぜ婦人に入れなかったのか」と、激しく罵倒された、という事もありました。これらはほんの一例です。
しかし多くの顕正会員が、現在この様な「家庭放棄」、「信心に関しては家庭内では不干渉」といった様な状態にあることは想像に難くありません。実際に顕正会の家庭不和話は良く耳にしますし、顕正会の活動スタイルを考えれば当然の報いだと思います。
浅井会長は「自他彼此の心なく」と指導しますが、実態が伴わないのは、心が狭く、余裕などまるでない、顕正会の害毒が如実に顕れていると言えます。
それでは、全ての組織を総括する存在は顕正会においては浅井会長唯一人ということになりますが、指導は常に一方的で、相談や質問など以ての外、もしお手紙など書こうものなら即、「除名」ということになります。
更には、会が同じなのだから、具体的に指導の内容が一貫していて共通であるのかといえば、全くそんなことはないわけです。
部によって「白」といってみたり「黒」といってみたり…
また同じ部内であっても、隊や区、支部が違えば、これもまた言う事がバラバラです。

顕正会は、御在世の信行の在り方を現代にそのまま移して実践していると主張しますが、それであれば、阿仏房夫妻のように、一世帯での信仰という枠で指導を受け、実践する修行こそが、大聖人様の御心に適った本来の在り方ではないかと思うのです。

日蓮正宗では「留守番の功徳」という事が言われております。

以下、『質問会集』より

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天台大師の『法華文句』で『法華経妙荘厳王品第二十七』について釈せられた中に、次のように説かれています。

昔、四人の仏道修行者がいました。ところが、仏道修行に出かけるには、誰かが残って家を守り炊事などしなければなりませんので、やむなく残ることになった1人は修行をすることができず、仏道を得る事ができませんでした。
ところが他の三人の仏道修行を支えるために留守番をした功徳で、その人は次の世に国王となって生まれました。その時、他の三人は、王の后と二人の王子として生を受けたのです。
そして再び仏法に巡り合った后を王子達は、過去世の修行の功徳によって、すぐに仏法に帰依することができました。
そして過去世の恩に報いるため、三人が力を合わせて王を教化し、ついに王も仏法に帰依することができた。
というのです。
このように、他の人達の仏道修行を支えるために、やむなく残って留守番をすることにも功徳があるのであります。

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前記事から少々話は逸れましたが、顕正会員さんが『千日尼御返事』を“遥拝勤行”を正当化する裏付けとして引文するに当り、まずは上記を前提として踏まえた上で、御書を拝して頂かない限りは、前記事の内容について、なかなか理解が及ばないのではないかと考えたからです。
とにかく「大聖人様に会いに行かなくても良い」と考えるのは単なる「懈怠」であり、「遥拝でお会いしている」と考えるのは、甚だしい勘違いです。

『遥拝勤行』の誤りについて

理論書 遥拝
経本 遥拝

一番目の画像は“顕正会 折伏理論書”の5章、「遥拝勤行」についての説明。

二番目の画像は“冨士大石寺顕正会 勤行要典”で同じく、遥拝勤行の説明書きのところです。

「信心に距離は関係ない。信心さえ純粋強盛ならば、いかなる隔たりをも乗り越えて、ただちに大御本尊に感応し、大功徳を生ずるのであります。」
との事。

その文証として『千日尼御返事』の

「譬えば天月は四万由旬なれども大地の池には須臾に影浮び雷門の鼓は千万里遠けれども打ちては須臾に聞ゆ、御身は佐渡の国にをはせども心は此の国に来れり、(中略)御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ」

との部分を引文して、教義の正当化を図っているわけですが、今回は、この引文自体が如何に根拠のない、荒唐無稽なこじつけであるか、という事について論証していきたいと思います。

顕正会の組織に嫌気がさして、活動を離れた様な人が、自宅に御本尊様がないにも関わらず、「自分は大御本尊様に向かって勤行しているから結構」といって、我見の殻に閉じこもり、自己満足して、なかなか日蓮正宗に帰伏するに至らないというパターンは案外多いのではないでしょうか?
「顕正会はもう懲り懲り!でも日蓮正宗も(顕正会で悪いイメージを植え付けられたが為に)嫌だ!だけど…。御本尊様は信じている」
といった顕正会退転者が、得てして、その様なパターンに陥り易いのも、顕正会の教義を良く知っている人間からすれば、その心情は容易に理解する事ができます。

しかし、
その様な考え方自体が浅井会長の嫉妬心から生じた、己義、邪義であるという事。
そして、そのような化儀は日蓮正宗において端(はな)から存在しないのだという事を良く知るべきなのです。

『千日尼御返事』の御述作の背景を考えてみましょう。

千日尼とは大聖人様が佐渡配流の時、帰依された阿仏房の妻です。
御書をお認めになられたのは、大聖人様が身延におられた時。
そして、弘安元(1278)年七月二十七日、阿仏房は九十歳の高齢でありながら三度目の参詣をしました。この年は疫病の流行はすさまじく、民衆の大半がこれにかかり、死んでいく者が後を絶たないありさまでした。
大聖人様は昨年、一昨年と姿を見せなかった阿仏房が、もしや疫病に悩まされているのではないかと、遠く佐渡を偲ばれ、その身を案じておられました。
その阿仏房の姿をみつけるや、いちはやく「尼ごぜんはいかに、こう入道はいかに」(御書P一二五四)
と尋ねられ、「いまだ病まず」との無事を聞いて、ようやく安堵された。
この時認められたのがこの『千日尼御返事』というわけです。

「去ぬる文永十一年より今年弘安元年まではすでに五箇年が間此の山中に候に、佐渡国より三度まで夫をつかわす。いくらほどの御心ざしぞ。大地よりもあつく大海よりもふかき御心ざしぞかし」

と、大聖人様はこの様に、身延入山後、わずか五カ年のうちに、三度も高齢の夫を遣わした千日尼の深い信心を、大地よりも厚く、大海よりも深い志であると褒めたたえられています。

また、一度目の阿仏房の参詣の際には「国府(こう)入道」も一緒であられたそうで、その国府入道の妻である「国府尼」と千日尼に対し、

「さしも大事なるわが夫(おとこ)を御つかいにてつかわされて候。ゆめ(夢)かまぼろし(幻)か、尼ごぜんの御すがたをばみまいらせ候はねども、心をばこれにとこそをぼへ候へ 」(国府尼御前御書P七四〇)

と、二人の夫を遠き身延まで遣わした妻たちに対し、この『国府尼御前御書』を書き送られ、
「よくぞ大事な夫をさし遣わされた」
と、その強盛な信仰を褒められたのです。

顕正会ではこの『千日尼御返事』は上記の「譬えば天月は…」の部分しか教えられませんが、その前述を知れば、「譬えば天月は…」の箇所の真の文意というのも明白となります。
即ち、
「佐渡の国より此の国までは山海を隔てて千里に及び候に女人の御身として法華経を志しましますによりて年年に夫を御使として御訪いあり定めて法華経釈迦多宝十方の諸仏・其の御心をしろしめすらん」

要するに、危険な旅を承知で夫を送り出し、留守を守った老妻に対する労いの意味が込められているのであり、その様な主旨である事を前提としてこの『千日尼御返事』を拝するならば、“遥拝勤行”という事を正当化するための引文は明らかに誤りであり、顕正会の都合に合わせた文意の歪曲である事にお気づき頂けると思います。

つまり、
「大聖人様に一目お会いしたい!」という身命を惜しまない修行の姿が仏意に適うということであり、

それは正に「御登山」の精神であり、
また、「三宝」に対し奉る「御供養」の精神なのです

大御本尊様にお会いしようともせず、また供養することもせず、「遥拝で十分」などと抜かしている、仏法の中途半端な理解者が、仏様に認められる道理など断じてないのです。

日蓮正宗に帰伏して、仏様の御心に適った信心をさせて頂きましょう

H26/5/18 入信して半年

久々の更新となりました。
私が顕正会から日蓮正宗へ移り、そろそろ半年が過ぎようとしています。
初めてだらけの日蓮正宗…。
御講を始め、様々な行事に参加が叶いました。御登山が叶いました。御本尊下付が叶いました。

その様な中で、最近になってようやく、徐々にですが、大きな勘違いに気付かさせて頂いております。

それは、御本尊様を大事に思う心です。

法華講員となって半年が経ったという事は、御本尊様と初めてお会いして半年が経ったという事。私の心田に仏に成る種が下されてより半年が経ったという事。
それまでは、下種を受けていない、三毒強盛の荒凡夫、ましてや御本尊様に矢を向けていた魔の眷属でした。

顕正会にも御本尊はあります。
敢えて「御」をつける必要もない、似て非なる極悪本尊です。
全く相妙が違うから、見てすぐ、簡単に理解できます。

しかし、理解にも浅深があるわけです。

顕正会に入ると、入信勤行の際に御本尊を見せられ、同時に戒壇の大御本尊様の存在を教えられ、これから毎日、遥かに拝み参らせ、恋慕渇仰することを教えられます。
ですから、顕正会に縁した時からずっと、御本尊様については「知っている」「いつも通じている」といった、自分勝手な思い込みをし続けていた事になるわけですね。

その様な大前提があり、生活の中に悪い事があれば「罪障消滅」、良い事があれば「功徳」、顕正会活動がうまくいかなければ「魔の働き」という勘違いが繰り返し、根強く、頭の中にインプットされていました。

ところが、騙されていた事に気付いた時、頭では「あぁ、全部うそだったんだな」と理解できても、インプットされた思考回路を変えていくにはやはりなかなか時間を要するものなんだなぁというのを、最近徐々に感じています。

要するに、顕正会の本尊と、日蓮正宗の御本尊様は本質的には全く違うにも関わらず、同じものだという感覚がなかなか拭えないものだという事です。

顕正会の信心があるという事は、どれだけ勧誘するか、または後輩を勧誘する人間に育てあげることができるかという事。
だから、勤行なんかしなくたって、きっと隊長にでも部長にでもなれます。

日蓮正宗の信心があるという事はどれだけ御本尊様を大切にできるかという事。

御本尊様を大事にする心です。御住職様が仰いました。「御本尊様を守るから守られる」のだと。

信心とは御本尊様を大事に思う心。

異流儀から宗門へ移った場合、なかなか「初めて」という感覚は持ち難いものですが、がむしゃらに形だけでも実践していく中に、だんだんと心根も伴っていくものなんだなと最近実感します。
なんだか上手くまとまりませんが、これから先もとにかく、益々に真剣な唱題を重ね、もっともっと謗法の「垢(あか)」を落とさなければいけないなと切実に思うものです。
[ 2014/05/18 16:43 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(3)

体験発表

本日、5月度の日蓮大聖人御報恩御講の後に開催された『支部総会』にて体験発表させて頂きました。

※ブログに掲載させて頂くに当り、若干、言い回し等において修正を加えさせて頂きます。

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体験発表

 私は平成25年11月30日、冨士大石寺を詐称する、邪教在家団体である「顕正会」を辞め、群馬県の日蓮正宗末寺において、晴れて日蓮正宗信徒と成らせて頂きました。
 顕正会に縁する前の私は、幼少期から中学生までの間においては、母方の祖父母が信仰していた関係で日蓮宗系の一派である「本門佛立宗」を信仰しており、中学時代は自分の部屋に本門佛立宗の教祖である長松日扇の作った曼荼羅を置いて崇め、日曜日の度に、私の郷里にある「本門佛立宗」寺院「本辰寺」に通っておりました。
 その頃の私は「本門佛立宗」を信仰する故の害毒か、大変な「虚弱体質」で、落ち着きもなく、学校に行くのも嫌で、生命力がなく、自営業で居酒屋を営んでいた父の店は倒産し、借金まみれで家庭内は常に殺伐としておりました。
 高校生・専門学生時代はというと、邪教の信仰からは離れたものの、あまり学校には行かず、放埓にして、担任の先生を困らせる事ばかりの、いわゆる問題児の様な存在でありました。
 そして私が19歳で専門学校を卒業した時、同じ学校の生徒であった顕正会員から勧誘を受け、宗教に無知であった私は、一度は断ったものの、しつこく勧誘され、結局は入会してしまったのです。
 ちょうどその頃の私は、親元を離れ、東京で友人と同居しており、仕事もロクにしていなかったので、興味本位で何かうさんくさいとは思いつつ、顕正会の活動を始め、気が付けば、いつの間にかのめり込んでおりました。
 罪障を積むとは知らず、友人、知人達を次々と勧誘し、顕正会を辞めるまでに本当に沢山の方達を顕正会のニセ本尊の前に案内してしまい、組長、班長という役職を命じられた時は、根拠のない使命感に踊らされ、すっかりと盲目になっておりました。
 顕正会というのは、知っている方も多いと思いますが、元々は日蓮正宗の一講中で、元の名を日蓮正宗妙信講と言いました。
 しかし後に、現顕正会会長「浅井昭衛」は、教義上の自分勝手な己義を、時の御法主上人猊下であった「日達上人」に主張し、日達上人が自分達の言い分を聞き入れてくれないと知るや、脅迫状まがいの文書を日達上人に対し送付したり、大石寺周辺をデモカーで主張を叫びながら周回したり、再三に亘る日達上人の御慈悲溢れる御指南にも応ぜず、遂に昭和49年8月、日蓮正宗より解散処分となりました。
 それよりは、勤行や、御書の名称の改変、戒名や塔婆供養まで廃止し、独自の教義を立て、終いにはニセ本尊の作成にまで手を染め、御法主上人猊下を口汚く罵る、大謗法団体へと成り果て、現在に至っております。
 会員活動の実態は酷いもので、幹部会員は無理な勧誘ノルマを課せられ、自らの名誉と保身の為に入信報告書と呼ばれる書類を偽造したり、体力・精神力ともに限界に達し、自殺した幹部がいるという話も聞き及んでおります。
 顕正会では、御戒壇様や大聖人様の尊さを教えつつ、徐々に浅井会長に対して「信」を立てるように、信仰心をうまくコントロールして、仏法にかこつけて、右翼の様な思想を植え付けられ、まるで戦時中の様な、浅井会長の為なら命を捨てるといった、狂信者・妄信者に育てあげるといった事が行われております。
 例えば体験発表などで登壇した時には、必ず最後に「無二の師匠、浅井先生に必ずやお応えして参る決意であります」という決まり文句を付けたり、浅井会長自身も、中国が攻めてくる等と、予言めいた事を言っては、終末思想を会員に植え付け、「もうすぐ日本は滅びる」と思い込んだ会員は将来に希望を持つことさえ許されません。
 私自身も、顕正会員時代はその様な思想に染まり、世間からは浮世離れし、気が付けば強引な勧誘をした友人達も皆去り、1人ぼっちになっておりました。
 更に幹部会員は下の者には冷たく、偉そうに生活まで「ああしろ、こうしろ」と細かく指示しておきながら、その後何のフォローもありません。
 活動の内容も年々酷くなる一方で、勧誘対象はホームレスが中心で、報告も形だけのものとなり、私は「大聖人様の仏法は素晴らしいけど、唯一正しき団体といいながら、この実態はなぜだろう?」と次第に疑問に思うようになっていきました。
 その様な中、顕正会では禁止されている、「インターネットで顕正会を調べる事」を始め、顕正会を辞めて、日蓮正宗信徒となった方の沢山のブログ等を閲覧するうちに、徐々に顕正会の誤りに気付き始めたのでした。
 特にそのブログの中でも、「セロリさん」の書く記事に心を大きく動かされ、直接電話して話すようになる中、散々悪口を聞き、植え付けられていた「日蓮正宗の悪いイメージ」が、徐々に氷解していったのでした。
 しかし、顕正会はほぼ間違いだったと理解してからも、師匠だと思っていた浅井会長に対して、情の面での執着が拭えず、日蓮正宗に移る事を躊躇しておりました。
 しばらくして、頭で考えても答えが出ないとの結論を得、御僧侶に会ってみたいと思うようになり、忘れもしない11月17日、思い切って群馬県にある日蓮正宗末寺の門を叩き初めて御住職様とお会いしたのです。
 その日はちょうど「お会式」の日で、法要が終わった直後、突然の訪問にも、御住職様は真摯に対応され、私の愚問の一々に答えて下さったのです。
 また、御住職様は日顕上人の直弟子であると聞き、今まで恐れ多くも日顕上人に大変悪いイメージをもっていた私は、御住職様の御慈悲、尊いお振舞に接し、その様なイメージはその場で氷解致しました。
 その日は「じっくり考えてから決めても良い」と御住職様は仰って下さり、帰りましたが、考えれば考える程、「御住職様の下で信心させて頂きたい」との思いは日を追うごとに増し、遂には11月17に行った日蓮正宗末寺の電話番号を調べ、自ら御住職様に御授戒を受けたい旨の連絡を入れ、11月30日、晴れて御授戒を受けさせて頂きました。
 顕正会の勤行は二座だけを読み、お題目を五分唱えるという独自のやり方で、非常に短かったため、五座三座の勤行を聞いた時は、「こんなに長いのか…」と思いましたが、ちゃんと御本尊様に通ずる勤行というのは非常に気持ちの良いもので、長さはさほど気にならず、顕正会時代は勤行が苦痛でしたが、今は有難くやらせて頂いております。
 また一月の支部総登山で初めて総本山大石寺へ行き、御戒壇様をこの目で拝する事が叶いましたが、大石寺に着くなり、今まで絶対に行かないと心に堅く誓っていたところに居るという事自体が不思議でならず、状況が良く呑み込めずにおりましたが、大石寺の美しさを見ると同時に、大石寺は「今は行ってはいけない謗法の地」であると私を騙し続けてきた、浅井会長に対し激しい怒りがこみ上げてきました。
 しかし、今は騙されていたこと自体も、過去世で自らが作ってしまった因縁だったのだと冷静に理解できるようになり、もっと自身の境界を変える為、罪障消滅を願うばかりです。
 そして、初めて御開扉を受けさせて頂き、顕正会員時代、早く広宣流布がきて、御戒壇様にお会いしたい!と思い、活動に没頭してきた事、その一々が思い起こされ、「今、自分は夢にまで見た御戒壇様にお会いできている。日蓮正宗に移れて本当に良かった」と、心の底から歓喜がこみ上げました。御戒壇様のお扉が開いた瞬間、涙が溢れて止める事ができず、前半は全く読経すら出来ませんでした。
 日蓮正宗信徒となった今、強く思う事は「世法即仏法」との腰を据えた信心を常に心がけ、世間からも認められる様な人材となり、御命題成就、広宣流布のお役に立たせて頂きたいと思います。
 
ご静聴有難うございました。

------------------------

本文の中で太字・赤字で強調させて頂きましたのは、私が日蓮正宗に移る一番大きな動機となった部分だからです。世間でも『百聞は一見に如かず』といいますが、いくら顕正会の誤りに気付けたとして、その後日蓮正宗の事が気になっていたとしても、実際に仏・法・僧の三宝に縁してみなければ、本質的に何かを感じ取ることは到底でき得ません。「どうせ末寺に行っても得られるものは何もない」と決めつけたり、また臆病心、怠け心に負けて求道心を実際に行動にあらわしていかなければ、道は閉ざされたままになってしまいます。
もし日蓮正宗寺院に行ってお話を聞いてみたいという事であれば、一度電話番号を調べて、連絡を入れてからの方が望ましいです。そうして頂ければ、末寺側としてもきちんと応対して下さるはずです。

日蓮正宗寺院一覧はこちらから

とはいっても、いきなり宗門末寺の門を叩く事には抵抗があるという方。現役顕正会員の方、顕正会活動を離れ、
日蓮正宗の事を知りたい方に関しては電話でもご相談も承らせて頂きます。
微力ながら、少しでもお役に立てれば幸いです。

『ミミ』への連絡先はこちらから
[ 2014/05/11 20:58 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(0)

『異例の認証式』についての真義

脱会者Aさんから頂いたコメントにもある様に、当時浅井会長がわざわざ総本山に呼ばれて御法主上人より認証式を受けた事をもって、顕正会に血脈が流れているという考えの根拠にしている顕正会員が少なくない事実は否めないと思います。

その理由としては、まず顕正会員が唯授一人血脈相承についての理解が乏しく、その意義について、我見で解釈している状況にあるということが言えると思います。

本来、日蓮正宗の教義信条に則って考えれば、在家の身分から御相承に関しての詮索自体が大変恐れ多いことであり、本当なら詳しく知る必要もなければ、詳しく知り得る事柄でもないように思いますが、
顕正会員は大体からしてその様な理念さえも存在しないため、御相承という事にどの様に考え向き合っていけば良いか、というところから、学ぶ必要があるのではないかと思います。

当ブログの過去記事において、日顕上人の御指南を掲載したものがありますので、参考にして頂ければと思います。
御相承に関してに日顕上人の御指南

また、この認証について、多くの顕正会員さん達の勘違いを生じてしまう大きな要因は、その当時の事が書かれた顕正会発行の「試練と忍従の歴史」という小冊子の文章構成自体に謀りが潜んでおり、真意の歪曲が行われているからだと思います。

以下、「顕正会 試練と忍従の歴史」(P15)

「しかし妙信講の切実な願いは、時の御法主上人・大六十五代日淳上人の御耳に達するところとなった。日淳上人はかねてより妙信講の信心を深く理解下されていたが、妙信講の広布の至情を嘉(よみ)せされ、ここに昭和三十三年一月十五日、宗門としては異例の講中認証が下されたのであった。(中略)さて異例の認証には、異例の儀式が行われた。通常「認証状」はただ伝送されるだけであったが、日淳上人は妙信講の首脳幹部をわざわざ本山に招かれた。そして「認証状」の授与に際して、特別にお言葉を下し給わった。」

如何にも妙信講が優秀であったがために、猊下がわざわざ本山に招いて下さったという様に、読み手としては感じ取れる様な書き方だという事がいえると思います。

しかし、事実は全く逆で、極端に言えば「問題のある組織であったがために、本山に呼び出しを食らった」といった状況であったというのが真相だったのではないかと思います。ちなみになぜその様な考えに至ったかといえば、この認証式に至るまでの経緯を知れば容易に推測する事ができるからです。

この部分の歴史、背景は櫻川さんの著された「迷走する顕正会を斬る」に詳しく書かれており、この一書は公になっている資料からの引文が多く、そういった面では非常に信憑性の高い一書であり重宝させて頂いております。

以下、断片的にはなりますが、櫻川忠さんの「迷走する顕正会を斬る」より、そのまま掲載させて頂きます。

『当時の法道院は増築を繰り返しており、特に昭和三十二年に二回目の増築計画いおいて、浅井講頭と主管の間に亀裂が生じたと、浜中和道師は指摘している。
「その頃の法道院は寺院規模も整っておらず、年々創価学会の折伏活動、自支部の折伏活動で増える一方の信者の方の収容ですら満足にできないものでした。会合にしても婚礼の控室にしても他の法要の控室も全て本堂で行わざるを得ない状態。故に主管はその充実をはかるべく増築を重ね、昭和三十二年に二回増築を計画されました。それをきっかけに浅井父子の法道院での権力拡大の策動が始まったのです。」』

と。また、

『妙信講が正式に講中の認証を得られた背景には、早瀬主管の特別な配慮があった。』

とあり、その裏付けとして、

『妙信講は法道院において、第二回総会を挙行した。(中略)妙信講再建総会(八月三日)も第二回総会(十月十九日)も法道院において開催されているのである。早瀬主管の了承なしに、会場として法道院を利用する事などはできない。主管が「面子にかけて妙信講を潰そう」としていたなら、妙信講に場所の提供など許すだろうか。竹尾氏が述べるように、早瀬主管は妙信講の行く末を心配していたのである。浜中師も「主管は、…一緒について行った人々の信心さえ離れなければと思い、日淳上人に取り為して妙縁寺への所属替えをお願いした」と述べている』

と早瀬主管の口添えがあって忝(かたじけな)く猊下様に執り行って頂いた事実が伺える事と思います。

つまり、私見での憶測になりますが…
指導教師のやり方(主に金銭面での工面)に異を唱え、随順できなかった、問題だらけの組織が、指導教師の懐の大きさと御法主上人猊下の大慈悲の御教導に助けられ、一応は一講中として認められはしたが、結果として、指導教師の恩を仇で返す様な行為であった事は事実ですし、法道会の離脱自体が単なる浅井父子の「わがまま」であった事に違いありません。

そういう意味での『異例』であったのではないかと思います。講中認証を決断された日淳上人様の心中を察することなど到底でき得ませんが、ただただ、そこに深い御慈悲を感じる次第です。

結局、浅井会長は自身を正当化するために、美化、着色を加え、歪曲し、本意を捻じ曲げ、それを読んだ会員の拡大解釈を図った、悪意の小細工だという様に思えてなりません。

浅井先生は日目上人の再誕説

これは、顕正会員にとって「定説」というか、当たり前の事で、逆に浅井先生を日目上人の再誕だと思ってない会員さんは「非顕正会員」と言っても過言ではないかもしれません。

「広宣流布の時には日目上人の再誕が出現される」という事は、別に浅井会長の己儀という事ではなくて、日蓮正宗勤行要典の御観念文にも「南無一閻浮提の御座主」とあるように、御宗門において、古くから伝えられてきております。
総本山大石寺の客殿には、私達から向かって左前に「御法主上人猊下」がお座りになられるお席があり、この猊下様専用のお席を「目師座」と御呼び致します。

大事なのは、広宣流布の達成を定義されるのは、その、「時の御法主上人猊下」以外にはおられない、という事。

そして、未来、広宣流布の達成を宣言された猊下様がそのまま「目師の再誕」という義となるわけですね。

しかし、顕正会では一体如何なる事か、現在猊座に登られ、「目師座」にお座りになられている「日如上人猊下」を無視して、「浅井先生が日目上人の再誕」という事になります。

ただし、浅井会長自身が「私が日目上人の再誕である」などとあからさまに発言した事など勿論一度もありませんね。

ではなぜ、顕正会員さんが浅井先生を日目上人の再誕だと信じているのか。

その理由を考察してみます。

一、顕正会員は、浅井会長の「あと〇年で広宣流布」といったお馴染みの断言によって、浅井会長が存命中に広宣流布が達成すると信じているため。
※その事を会員に信じさせるため、浅井会長は会員に対し、常に地震や国家破産、戦争で日本が滅びるといった終末思想の植え付けを行っている。

一、浅井会長が妙信講発足当時、日淳上人から「異例の認証」を受け、「異例の儀式」を執り行って頂いた事実を、会員が勝手に「その時、浅井先生は唯授一人の血脈相承を受けた」と錯覚しているため。

一、日目上人が朝廷や幕府に対し、諌暁(天奏)された事を浅井会長は、会員に対し「国家諌暁をされた御上人」、「国家」という単語を必要以上に強調して、繰り返し教えている。一方で、自身も「諌暁書」という本を著し、その本を政治家や官僚に一方的に送り付たり、会員には大量、無差別に配って回らせ、これを「一国諌暁」と称している。類似語である「一国」「国家」というワードを使う事によって、「浅井先生」と「目師」がダブり、会員が錯覚を起こすため。

一、「ただ、大聖人様の御眼のみを恐れ」とか「もし大聖人様ここにましませば何を命じ給うか」などとまるで大聖人様御在世の時にお傍に仕え、良く大聖人様の心中を理解していたかの如くの言い回しを繰り返し会員に擦り込み、会員の妄想を膨らませ、洗脳させているため。

等々…。
その他にも、浅井先生は日目上人の再誕という風に会員をマインドコントロールするためのワードや手口は会長の講演や顕正新聞の隅から隅へと散りばめられ、最初は純粋一途な大聖人様への信仰心だった会員さんが、いつの間にか「浅井教信者」へと変貌を遂げていくのです。

このようにして顕正会では、「化儀の改変」も「御本尊の作成」も「浅井先生は時の御法主上人だからその権能があって当然」といった、教義を正当化するための理論が成立しているのです。

H26/5/6 勝妙寺様に参詣

高崎市にある日蓮正宗の末寺、「勝妙寺」様に参詣させて頂きました。

前から大きいお寺という事で聞き及んでおりましたが、百聞は一見に如かずで、実際に広く、大きく、大変素晴らしいお寺でした

入ってすぐのところに、丁度時期で「ふじの花」と「シャクナゲの花」が綺麗に咲いておりました

また大きな鐘もあり、感激でした

ふじの花

おおきな鐘

しゃくなげの花

玄関横には、日顕上人お手植えの「ラカンマキ」。

お手植え松

寺院の中に入ると御住職様が少しお話をして下さいました

この勝妙寺にも顕正会員が喚きに来たことがあるそうで、その来た女子二人はいきなり御住職様に向かって「問答しろ!」などと言ってきたそうです。
あまりの慢心ぶりに呆れてしまいますね…

それから、頑張って下さいとお励ましの言葉を下さいました

夕の勤行にはまだ時間があったので、個人的に勤行させて頂き、広い本堂で、有難くも貸切状態でした

参詣の帰りには、入った事のないスーパーに初めて立ち寄ってみると、タイミング良く、食べごろのアンデスメロンがなんと198円

帰って、御本尊様にお供えさせて頂き、今夜は久々の贅沢です


メロン

あと、私は観葉植物が趣味ですが、この間ローズマリーを枯らしてしまったので
代わりに、「アジサイ」と「多肉植物」を購入。

植物


植物2

有難い一日でした
[ 2014/05/06 20:43 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(0)









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