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浅井会長「当たらぬ予言」 近年の安倍政権への予言集


「やがて制御の利かない悪性インフレが始まり、(中略)あっという間に国家破産が現実になるのです。(中略)そのとき、政治家は誰も責任をとらない。安倍晋三さんも」 (顕正新聞平成25年2月5日号)

「安倍首相はいまTPPとアベノミクスを原発推進にのめり込んでいる。だが、必ずこれが裏目となるから、よく見ててごらんなさい。」 (顕正新聞 平成25年4月5日号)

「安倍首相はいま「アベノミクス」「TPP」「原発推進」等の政策を打ち出している。だが必ず裏目となる。これが日本の破滅の入り口になるから、みていてごらんなさい。」 (顕正新聞 平成25年5月5日号)
「阿部政権のロケットスタートは必ず「始め良し、後で大罰」となる。(中略)アベノミクスはやがて国債暴落とハイパーインフレを招いて、国民を奈落の底に突き落とす。」 (顕正新聞 平成25年6月5日号)

「安倍内閣のロケットスタートは、まもなくロケット落としになる。まさに「始め良し、後で大罰」の真言亡国そのままの姿を現ずるから、よーく見ていてほしい。」 (顕正新聞 平成25年7月5日号)

「阿部政権の経済対策、いわゆるアベノミクスなるものは、かえって国家破産を早めつつあるではないか。(中略)こんな無謀な事が続くわけがない。やがて国債は暴落して国家破産が事実となる。そしてハイパーインフレによって国民は塗炭の苦しみを味わうのであります。」 (顕正新聞 平成25年8月5日号)

「無謀なアベノミクスは必ず国家破産とハイパーインフレをもたらす。そのとき国民は生活に苦しみ食料も手に入らなくなる。これまさしく穀貴に当る。日本国民は騙されて、まだ気がつかない」 (顕正新聞 平成25年9月5日号)

「安倍首相は就任一年、順風満帆のロケットスタートに心驕って判断を誤ったのであろう。これが安倍政権崩壊の始まりになることは疑いない。」 (顕正新聞 平成26年1月5日号)

「国民を幻惑してきたアベノミクスも、まもなく馬脚を現すに違いない。(中略)このアベノミクスのまやかしに、間もなく全国民が気付く。そのときが阿部政権の「ザ・エンド」であります。」 (顕正新聞 平成26年2月5日号)

「すべては昨年末の靖国参拝に端を発している。まさにこれが安倍政権のターニングポイントであった。そしてこれが終わりの始まりなのであります。」 (平成26年 3月5日号)

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近年の浅井会長の安倍政権に対する批判・予言を列挙してみました。

安倍政権が一昨年の12月の発足して以降、浅井会長は総幹部会の度に安倍政権の崩壊を「必ず」や「疑いない」と断定的に予言し続けました。

それが、平成25年8月度総幹部会まで続きますが、その後は創価学会へ批判が中心となり、一時安倍政権への批判が止みます。

そして、本年、平成26年に入ると、また元の路線に軌道修正して、安倍政権の断定的な批判を始めます。ところが最近では言い回しが断定的ではなくなってきているのです。

だんだん自身の過去の発言に、自信がなくなってきてしまったのでしょうか?

しかし講演の一部始終が国際情勢や政治の話で埋め尽くされており、最近はその傾向は顕著になってきております。
いくら有識者の論を借りたところで、用いるのは会長その人、所詮は個人の所感でしかありません。

もはや、宗教者としてはあるまじき講演内容であり、信仰の団体とは到底思えませんね。

顕正会員さんは「予言」ではなく「お励まし」と言うのでしょうが、
予言とは
「未来の出来事や未知の事柄をあらかじめいうこと。また,その言葉。」(大辞林)
との意です。

「時に当たりて我が為国の為大事なる事を、少しも勘(かんが)へたが(違)へざるが智者にては候なり」(蒙古使御書)

との大聖人様の仰せを拝するに、大事なる事を違いまくる浅井会長が智者である道理はなく、反対に「愚者」であり、そのような人は「邪師」といわなければなりません。
続く。
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「ニセ本尊」と言われても俄(にわか)かには信じ難いという顕正会員さんへ

自身の信仰の対象物を否定されることが、大変受け入れ難い事実であるということは、私も経験の上から良くわかります。
それを認めるということは同時に、今までの自身の信仰上の活動の一切が水泡に帰するということになるのであれば、認めたくないというのは大変切実な心情であるということも良く理解できます。勿論、個々人の顕正会への信仰心の強弱にもよると思いますが、ある程度の時間も必要だと思います。

前に法華講員から何度も折伏を受けている顕正会員の副長さんとお話させて頂いた際、その副長さんは「ニセ本尊といわれても何とも思わない」と言っていました。
きっと真意は「何とも思わない」のではなくて「何とも思いたくない」「考えたくない」のでしょう。
ちゃんと仕事もしているし、所帯ももっている、話せばわかる頭の人です。

偽物の理屈は理解できても、顕正会活動をする中で身の上に起きた不可思議な御利益のような現象や、ニセ本尊への恍惚感(こうこつかん)が拭えずにいるといったような心の状態を「執着」といいます。

「偽りの親しみ」です。

それでは頑迷な顕正会員さんが、ニセ本尊信仰から脱する為にはどうしたらいいか。
まずは「御形木御本尊」の意義についての再認識が、段階的な意味合いで重要になってくると思うのです。

浅井会長は御形木御本尊の本質について「試練と忍従の歴史」の中で次のように説明しています。

「御形木御本尊とは入信者に仮りに貸与(たいよ)される印刷された御本尊のことである。歴代御法主が直筆を以て書写し授与される御本尊は、常住御本尊を呼ばれる。」

御形木とは「貸与」であり常住とは「授与」であるという事です。

「貸与」とはどういう意味か、辞書で調べてみますと、
「金や物を貸し与えること。返すことを条件として金品の使用を許すこと。」(デジタル大辞泉)
とあります。
要するに、御形木御本尊とは「貸し与える」側が存在するのであり、必ず「返す」ことが条件となってくるわけですね。

現在顕正会館はある御本尊は一部会館の常住を除き、そのほとんどが「日布上人の大幅の御形木御本尊」と称するものであり、それは本質的には「貸与されている御形木」なのだという事を深く認識してもらいたいのです。

ニセか本物かという事を問題とする以前に、まずはこの部分の認識をしっかりもってもらいたいのです。

つまり貸している当事者は日蓮正宗であり、就中、当代の御法主上人猊下であられるという事です。

更に、もとよりこの御本尊の貸与に関しては、宗務院許可、および妙縁寺総代の了解を得た手続きを経ていないというのが事実なのです。

昭和48年、12月22日に奉修された「常盤台の本部落慶入仏式」において松本日仁能化は

「十万達成まで日開上人御筆の妙縁寺重宝の御本尊を本部会館安置の御本尊として確かに貸与する」

と言った記録が残っているようですが、「貸与」のそもそもの始まりからしても、松本日仁の勝手な暴走であったことを知らなければなりません。

そして、顕正会破門直後の昭和49年10月19日、日達上人は「宝浄寺創立10周年記念本堂改築落成式の砌」に次のように仰せです。
 
「また、妙信講は本部を造ってそこに、御本尊を安置しております。それは、妙縁寺というお寺、本所中之郷の妙縁寺の御本尊を宝物の御本尊を住職がうっかりしてしまって、以前に、「十万所帯の人を折伏するから、御本尊を借して下さい」と云うから、まだ、日蓮正宗の一団体であったから、住職が貸したのです。ところが、今度そういう風にして、宗門から破門されたから、今度は返してくれと住職が云ったら、いや一万所帯作ったら返しますからと云う。じゃあ謗法の信者を十万所帯作られたら、もっと大変な事になってしまう。早く返してもらってくれと云うのだけれども、仲々らちがあかないで、困ってしまう。」

貸している側の御方がこのように仰っているのです。

顕正会、浅井会長は強奪してしまったのです。
ですから、「御形木」の「貸与」という意義もその時点で失せるのであり、それではただの「コピー曼荼羅」となってしまうのです。

大聖人様は顕正会員の良く知る『佐渡御書』の中で
「我この度の御勘気は世間の咎(とが)一分もなし。」
と仰せです。
大聖人様は現行している世間法と照らし合わせても、一切の過失なく、法をお弘めになられたのです。

大聖人様の御命令を信心の耳で聞き奉っている浅井先生が、なぜ世間法を犯すのでしょうか?

ここで、古い幹部会員さんは昭和52年4月にでた裁判の結果を持ち出すのでしょう。

「顕正会 御遺命守護の戦い」に曰く

「始めは、松本御能師にこの御本尊を取り上げさせようと強要しました。だが松本御能師の「妙信講は正しい、そんなことは私には出来ない」との拒否にあうや、大作は直ちに宗門に命じて松本御能師を妙縁寺住職より罷免し、さらに擯斥処分に付した。そしていよいよこの御本尊を、法的手段に訴え、力づくでも奪わんと、昭和四十九年十一月十三日、非道の裁判をしかけてきたのであります。
(中略)
 その条件とは、次の三つであります。
 一つは、“もう妙信講本部会館の御本尊を奪うなどということは絶対にしない。今後永遠に、この問題で訴訟を起すことはいたしません”と云ってまいりました。
(中略)
以上の条件を示して、裁判をすべて取り下げてくれというのです。皆さん、どうでしょうか。これはまさに事実上の全面勝利であると私は思うのですが、いかがでしょうか(大拍手)。」

しかし、この講演の中で最も重要な「松本さんから受け取った顕正会が保有している御本尊は妙縁寺に返すこと。」といった旨の裁判の結果について浅井会長は一切触れていないのです。

つまり、「御本尊を返却することは裁判で決定したのですから、以後はまたその事で訴訟を起こすことはしません。日蓮正宗側は黙って待っております。」ということであり、本質は返さなくても良いということではないのです。

要するに「法を犯し、奪った本尊」であるという事ですから、「御形木」と称すること自体が本義からして不適当なのであり、顕正会員さんはそういった角度からも、顕正会の本尊という事にについてもう一度良く考え直してほしいと思います。

樋田昌志さんが浅井会長へ二度目の公開詰問状

セロリさんのブログを見て知ったのですが、日蓮正宗法華講員である樋田晶志さんが浅井会長に対して「二度目」の「公開詰問状の送付」、及び「公開対論の申込み」をされたそうですね
該当記事はこちらから
一度目は顕正会、浅井会長側が無視して終わったそうですが、今回も浅井会長は無視する可能性が極めて高いと思います
遁走はほぼ決定的ですね。

「謗法を責めずして成仏を願はば、火の中に水を求め水の中に火を尋ぬるが如くなるべし」(曾谷殿御返事)

一分でも「大聖人の弟子」との自覚がおありなら、「無視」という選択肢はまず有り得ないと思います。
「道念」のカケラもないということですね。

顕正会側からしてみれば、日蓮正宗は「謗法」ということになるのでしょう。
謗法を呵責する精神なくして、成仏は叶わぬと大聖人様は仰せです。
この道理から考えれば、謗法を責めぬ顕正会では「成仏」は叶わない事になりますね。

総幹部会では、しばしば「成仏した」旨の登壇発表をする者がおりますが、
顕正会がもし、「謗法を責めなくても成仏が叶う」というのであれば、その事を裏付ける明確な文証を示し、論証できない限りは、そのような登壇は全て「作り話」と断定せざるを得ません。

顕正会員さんで良く「御金言通りの臨終の相を現じたという登壇発表」を引き合いにして会の正当性を主張する人がいますが、そのような者は今回の樋田さんの件をもって「恥を知るべき」だと私は思います。


[ 2014/06/18 00:15 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(0)

浅井会長「当たらぬ予言」の意図

「第三次世界大戦の序幕はすでにはじまっている」(昭和42年)
「恐るべき自他の二難は刻々と近付き」(昭和44年)
「全世界に暗雲たち込め、まさに前代未聞の大闘諍(だいとうじょう)の兆しすらみゆる」(昭和46年)
「天はすでに警鐘を乱打」(昭和46年)
「世界的基金も招かんとしております」(昭和47年)
「次は飢渇(けかち)が来る、日本の経済は必ず崩壊する」(昭和48年)
「次に迫り来る恐るべきものは飢饉であること間違いない。来てはならないと思うが数年以内には起こらんとしている。早ければ来年にも始まる」(昭和49年)
「大飢饉、早ければ来年から、遅くとも七十年代のうちには世界的な規模で、ことに日本において強く現れる」(昭和49年)
「八十年代こそ恐らくは世界大動乱の時代となる」(昭和49年)
「ソ連は極東での米国への緩衝地帯として、朝鮮半島と日本列島を狙い、なかんずく日本の北海道を当面の目標においていることは疑いなきところ」(昭和55年)
「八十年代は『破局の年代』であります」(昭和55年)
「前々から云うように、八十年代に破局は必ずまいります。破局は一つには天変地夭による破局、これは大地震であり、異常気象です。もう一つには戦乱による破局であります」(昭和55年)
「そしてこの大地震を号鐘として、それより日本は破局の坂道を転げ落ちていく」(昭和57年)
「小田原地震、おそらく今年、これはもう間違いないでしょう。(中略)私はそれを知るゆえに、昨年十二月から心を休めたことがない」(平成10年)

以上。ざっとですが、『慧妙』(平成19年、8月16日号)の記事を参考に掲載させて頂きました。

同種の予言めいた浅井会長の発言は近年においても、枚挙に遑(いとま)がありません。

何故浅井会長は恥ずかしげもなく、そのような当らぬ予言を連発するのでしょうか?

その理由について考えてみます。

一つには、「亡国は間近」、よって「残された時間は少ない」だから「急ぎましょう」と盛んに煽ることによって、会員を焦らせ、勧誘意欲を駆り立てる。

二つには、このような事は、ずっと口にし続けていれば、いつかは当ります。そしていずれ当った時、「やっぱり先生は凄い!」と会員から称揚(しょうよう)を受ける事となるのです。その事により、更に会長の神格化は確固たるものとなります。

三つには、会員の興味、意識を俗世間から切り離させること。「いくら財産や人間関係を構築したところで、数年後には無に帰すのだ、だから時間もお金も、全てを顕正会のために使う事こそが最高に尊い生き方なのだ。」という会員の信仰心を利用した奉仕者、無償労働者の形成を行うためです。

一の様な理由については、百歩譲って、多少許される辺があるように思います。
闇雲に「顕正会は恐怖心を煽っているからけしからん!」とは言い切れないと思うのです。
世間の有識者の意見を借りて、「だから頑張りましょう!」というのは、さほど悪いようには思いません。
ただし、期限を決めて断定的に言い切ってしまうという事に関しては、会員や社会に対して大変無責任だと思います。このような言い切った風の発言について多くの顕正会員は「浅井先生だって凡夫だ、多少のはみ出した発言くらいあったって仕方ないだろう。揚げ足取りだ!」とか、「広宣流布近しの実感が薄れやすい、宿縁拙(つたな)き我々に対し、確信を与えて下っているのだ」などと、主張します。
私も顕正会員の頃は予言が当たらない事に関して特に疑問を持つことはなかったですし、それに、その事を本気で信じている会員さんが周りにいるようには思えませんでした。というのは、私の周りには入信の古い人が比較的多かったからではないかと思います。つまり過去の多くの外れた予言を知っているような古参の幹部会員からすれば、予言は単なる期間限定のキャンペーンやスローガンくらいにしか捉えていないのが実情です。

二つ目の理由は、自宗の正当化と、そのまま折伏に使えるネタ作りの意図があると思います。
勧誘の現場において、いくら一・三の理由の角度から対象者に話したところで、結局ただのバカだと思われるだけですが、残念な事に、神秘的な神がかった現象というものに興味がある人というのは少なくありません。特に、宗教に無知な若年層です。実際、勧誘対象の主軸をこの若年層においているのが会の現状ですね。
予言が当ったことを会員は「現証」ということに当てはめ、逆の論理で会の理証(道理)、文証を立証せんとする謀りは顕正会の常套手段でありますが、世間にはこのような浅はかな愚論に騙されてしまう人が多いのが実相です。
およそ顕正会の辛い活動内容に耐えうるための会員の精神的支えは「先生絶対」が根幹になっており、その事を裏付けるための証拠作りを常に狙っているのです。「先生は未来がみえている」「先生の発言によって諸天が動いている」
予言はこれらの「先生は只者ではない」という会員の支持を得るための方法、手段の一つであると考えます。

続く。

H26/6/11 近況

本日は近況について書かせて頂こうと思います。

最近の私は、仕事の面においては「残業三昧」の忙しい毎日となっております。
少し前の状況から比べると、1時間半~2時間程度、平均して残業時間が増加しています。

「体が大変」「拘束時間が長い」などといってはいられません。稼ぎたくても稼げない、仕事をしたくても仕事がないといった人が多いこのご時世、、「仕事がある」という事自体が大変恵まれていることであり、喜ばしいことなのでしょう

『さでをはすることこそ法華経を十二時(じゅうにどき)に行ぜさせ給ふにては候らめ。』

顕正会の様に「棚からぼたもち」風の御利益を求めて目の前の現実から逃避したりすることではなく、大聖人様が、そのままでいる事、そのままの自分の境涯から、眼前に与えられた仕事を精一杯こなすことが自身の仏道修行となる。と、そのような意味合いの事を仰せである以上、「仏様から頂いた残業」と捉え、今の状況に歓喜して、乗り越えていきたいと思うものです

その様な最中、次の群馬布教区の広布推進会にて、「広布の青嵐」の指揮を頼まれました

初めてにしていきなり「センター」をお願いされてしまいまったのですが、青年部長を差し置いて、さすがに図々しい様な気が致しまして、立ち位置に関しては現在、検討中です

出番は会合の終盤、仕事が終わってからでも時間的にはなんとか間に合いそうなので、指揮自体は有難くやらせて頂くことに決定。
という事で、昨日、歌に合わせて指揮の練習を行うため、菩提寺に赴きました。

そして、いざやってみると…
これが意外と疲れるんですね。
扇子を振る際、風圧がかかって結構重いので、腕と握力に結構な負担がかかります。
そして問題は、「ニコニコ顔」。多くの面前で緊張して顔がこわばってしまいそうです
なるべく楽しい事を考えながら、その場を乗り切ろうと思います

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それから、下の画像は先日購入した観葉植物。
その名も「ツルニチニチソウ」。
何やらとっても有難げな名称です。癒されます。
名は体を顕すので、もしかして仏縁の深い植物なのでしょうか?
梅雨が明けたら正念場、暑さに負けて枯らせないように頑張ります

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[ 2014/06/11 22:47 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(0)

『自宅拠点』の真義 (入信報告書の偽造)

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今後こういう事を進めていきたい。それは、非公開の自宅拠点を数多く設けるということです。(中略)自分の組織の人しか出入りしない。非公開であるから本部で紹介する事もしない。

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これは平成15年、5月18日に執り行われた、典礼会館御入仏式における浅井会長の講演の一部です。

私がまだ顕正会員であった頃は「あぁ、確かに、広宣流布を進めるために必要だ!どんどんこの様な拠点を増やすべきだ!」と、思っておりましたが、今翻って思うに、この「非公開」なんていうのはとんでもない事です。

なぜなら、顕正会を脱し、傍観者となり客観的に顕正会を考え、捉える事ができるようになった今、この「非公開」の意味するところは容易に推測できるのであり、更にその事を裏付ける様にその後次々を勃発するいくつもの“事件”から鑑みれば、会長から会員に対し、前もってその“事件”を暗黙で許可したという意図が窺えるのであり、その筋で考えれば正に会長の確信犯であった事は疑いありません。

そうです。その“事件”というのは、「入信報告書の偽造」ですね。過去にも私はこの件について記事を書かせて頂いておりますが(記事はこちらから)、この時の発言こそ、総会員数の水増しという策謀を実行していくためのお膳立てに他なりません。
多くの会員の活動意欲を引き立てるためには、会全体の「盛り上がり度」が必要不可欠です。つまり法戦終了後の総幹部会では必ず会員が感激する様な、「勧誘成果」要するに「数」を発表しなければなりません。
しかし、目まぐるしい教義の改変に伴って、当然疑問を生じる会員が増えます。疑問をもつ様な者は会にとって「危険因子」です。そうなれば顕正会に身を投じてきた、経験も実力も豊富な「過去を知る」人間は「粛清(しゅくせい)」するという対策をとらざるを得ません。結果会には能力のない人間のみが残り、形骸化した「ひ弱な人材組織」に会の運営をたのまなければならないといった厳しい現実に会長自身が追い込まれていくのは自明の理です。

勧誘数の伸び率をキープするためには、勧誘数を誤魔化すしか手はありませんよね。

しかし、会館で入信勤行を行うという基本的なやり方では、会員の誰かが新入信者に成りすまして、いちいち儀式を行わなければいけないという事になり、それは大変効率が悪く、骨の折れる作業です。それに管理主任という関門を通らなければなりませんし、多くの人の目があるわけですから、当然会館でその様な如何わしい行為は現実には不可能なのです。

そこで、もし会館の職員が「偽の報告書の作成」という犯行に与した場合、要するに実際は入信勤行をしていないにも関わらず、報告書に「○○会館」といった判を捺した場合は会側の責任問題となってしまいます。

あくまで、「やった本人のみに責任を負わせる」様な仕組みを作らなければなりません。

とは言っても、実際本人に責任を負わせているかどうかというとまた話は別です。

私がこの様な考えに至るのも、それなりの裏付けがあるのです。
それは、
「入信報告書の偽造が本部にばれた会員であっても、除名にならないどころか、本人自身もまるで悪びれもなく会の活動を続けている。」
という事実があるという事です。
とにかく、悪い事をする人というのは「こそこそ」とやるのが常です。
それから、成果を誤魔化して組織を盛り立てないと、腰を上げようとしない様な連中の集まりという事ですから、

「顕正会の幹部の皆さんって、ぜんっぜん信心ないんですね」




H26/6/4 元顕正会員“ポポさん”の御授戒が叶いました!

5月28日に当ブログのメールフォームから私個人宛にメッセージを下さった。元顕正会員の“ポポさん”が昨日、御自宅の近くの日蓮正宗寺院にて無事御授戒を終えられました
最初にメールを頂いた時、ポポさんは既に顕正会組織を離れて1ヶ月程経過していたそうです。元々ご実家は日蓮宗(身延)であったそうですが、顕正会に関わった事で宗教の正邪について考えるようになり、インターネットで情報を模索していたところ、私のブログに巡り合った様です
できれば法華講に入りたいが、まだ知らない事が多いので不安との事だったので、一番は日蓮正宗の寺院を訪ね、本物の御本尊様を拝し、御僧侶と直接お話をされたほうが良い旨を伝え、「もしそれでも、いきなりお寺の門を叩くのに抵抗がある様でしたら、まずは私がお電話にて色々と説明させて頂きます」と伝えると、ポポさんはすぐに自宅近くの寺院を御自身で調べ、「明日にでも行ってみます」と仰いましたなんという求道心でしょう
しかし、お寺側の都合もあるため、まずは電話でアポを取る事をお勧めすると、ポポさんはその通りにされ、翌日の昼2時に御住職様がお時間を取って頂ける段取りとなりました
実は御住職様は、ポポさんが電話を入れた時、総本山の方に行かれていた様ですが、ポポさんからお寺に電話があった事を奥様から聞き、真っ直ぐお寺に帰宅されたそうで、その事を聞いたポポさんはとても嬉しかったそうです
更にお寺にて、本物の御本尊様を初めて拝した時は涙がこぼれたそうで、柔和で正直なポポさんの信心にこちらも胸が打たれました
そして、晴れて御授戒が叶った昨日、御授戒終了後のメールで「ミミさんのブログに出会えたからこそだと、感謝しています(^^)」と、大変有難いメールまで頂きました
道理がわからず、頑迷な顕正会員さんが大多数を占める中、それでも「自身がそうであったように」顕正会に疑問を感じていて、本物を求めている人、真実を知らずに苦悩に喘いでいる人が必ずいる!と信じ、ブログを続けて参りましたが、今回の件に至るまで、なかなか顕著な成果を得る事が叶わずにおりました‥。
今回のポポさんの一件は自身の努力が一分、報われた思いとなり、大きな励みとなりました
微力ながら、今後も自身の化他行の一貫として、記事を書き続けていこうと思います

ポポさん、本当におめでとうございました
[ 2014/06/05 21:19 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(6)









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