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【注意勧告】顕正会男子部大会の勧誘活動の激化に伴って

9/7にさいたまスーパーアリーナにて開催予定の男子部大会については、度々、詳細を示してまいりましたが、私の周囲でも「誘われた」等の声が彼方此方であがり始めている事を聞くに及び、再度当ブログにて取り上げておくことに致します。

当ブログにおける過去記事はこちらから閲覧下さい。

とにかく「誘われても行くな!」の一言に尽きます。

「付き合い程度」や、「しつこいから仕方なく」は絶対ダメです。

大会の目的、運営側の意図というのは偏に「参加者の洗脳」にあるわけですから、勿論、大会の構成自体に「洗脳プログラム」が巧妙に仕組まれていることは事実です。
そして洗脳された者の成れの果てが、会員の振舞いに結果として如実に表れております。

過去の事例はこちらから閲覧下さい。

暗い場所、ギュウギュウのすし詰め状態の中で、会長の浅井昭衛さんを讃嘆する言葉を始終聞かされ続けるのは「聴覚や集団心理に訴えかける洗脳システム」です。

その内容といえば、彼の「オ○ム」における、信者を洗脳するためのカリキュラムに酷似している感があります。(○薬こそ使いませんが。)

私は六年間顕正会幹部として活動した経験がありますが、活動にのめり込む契機となったのは「ビデオ放映」と称される、顕正会行事の一環への参加によるものでした。

約2時間に亘り、大きなスクリーンの前に座り、大きな音声で会長の讃嘆を聞かされ続けるわけですが、その時私は仮に全体が2時間の構成であったとして、その中の1時間59分は「寝ておりました。」

そして最後の1分間での出来事でした。大きな音に眼が覚め、スクリーンに映し出された浅井会長の大きな顔を見て、「何か心の底から湧き上がる熱いものを感じ、その一瞬で浅井会長について行く堅い決心をしたのです」
翌日には、顕正会本部会館がある大宮公園駅までの定期券をなけなしの持ち金の中から捻出、購入し、いつの間にか気付いた時には、熱心な活動家になっておりました。

人間の無意識状態と意識状態の中間である「シータ状態」にされる事によって、ある特定の観念を心中に植え付けるという脳科学に裏打ちされた洗脳法が用いられているのかもしれません。(そこら辺の話はあまり詳しい方ではありませんが…)

今回の大会に誘われている方、若しくは行く予定になっている方は、参加自体に「危機意識」をもって下さい。

結果、大会に人が集まらなければ(名目では五万人結集を称しています)、その会の現状を事実の上に突き付けられた現役の会員さん達も、それによって目が覚めて、結果、洗脳の死地から救い出すことができるかもしれません。

彼らを排斥し、孤独にしていく事こそが、彼らへにとっての良きカンフル剤であるということなのです。
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顕正会での指導内容 1

私が現役顕正会員であった頃、上長からは一体どの様な指導を受けていたのか、具体的に思いだしてみたいと思います。その1です。

【犬・猫以外ならなんでも良い】

第三男子部2000名結集大会が差し迫ってきた頃、まだまだ結集のつかみは2000名まで程遠い状況でありました。
そしていよいよ本番間近となり、ついに隊長よりの指令が支隊長を通して私に伝えられたのです。

「もう犬・猫以外ならなんでもいいからとにかく結集せよ。」

じゃあ虫は?と、つっこみたくなるところですが、人の形をしていればなんでも良い、とにかくやばい状況だから数になるならどんなでもOK!という意味でしょう。

本音を言えば、当時私は2000名の結集がそれ程キツいものだとは正直思っていませんでした。

なぜかというと第三男子部といえば、12隊、16隊、18隊、29隊、47隊、58隊、64隊と、隊が7つもあるんだから余裕でしょ!と安易に考えていたからです。
実際2000名来たのでしょうか?
当時の私は2時間以上に亘って行われた会の一部始終をスマホのボイスレコーダーで録音して、その後は繰り返し聞くなど、正に狂信的であり、まだまだ洗脳から脱する糸口すら見えていない状況でした。

しかしそれからちょうど1年後…。私は法華講員となったのです。

異体同心について

先日の広布推進会にて無事に登壇発表を終えることができました。
今回の推進会では、ある御尊師の御説法が私にとって強烈に印象に残りました。

その御説法の内容とは、

「異体同心は実践の中のみにあるのであって決して掛け声ではない」
ということでした。

御命題を成就するためには何よりも「異体同心」が肝心・要であるということは言わずと知れたことですが、私の浅い経験の中で実感していることは、まず信徒同士で信心について語り合うだけで果たして異体同心できたのかといえば、基本的にはできなかったと思います。
では、相手は実は表面上立ち回っているだけで、心底に折伏の精神がなかったからかな?または逆パターンで自分自身が臆病風に吹かれているのかななんて思ったりもしますが、実際にはそのことが原因ではない場合も多々ありました。

しかし、一度「異体同心」で強くリンクし合った者同士は、その後、強い絆で繋がり続け、その絆は一度切れたように見えたとしても、そう簡単には切れません。

顕正会は邪教です。だから折伏・結果成果の誤魔化しや人間関係のもつれなど多くの問題が発生しているのは紛れもない現証だと思いますが、それは同体異心の報いという事でもあるのであって、会員の心がバラバラな証拠だと思います。

しかし組織の細部に目を向ければ、例えば支隊・班などで心を一つにして、折伏(勧誘)誓願に向かって団結している組織もあるのは事実です。

私は顕正会時代には先輩Oさんと何十件も供に折伏(勧誘)に当たりました。
しばしば数百キロ離れた遠方にも出かけました。
今となっては本当に良い思い出であると同時に、良い経験とも捉えております。
あの時経験した「異体同心」は本当に気持ちの良いものでした。

または、私がもし信心をしていなかったら、正直絶対に関わりたくないような人も組織の中にいました。
ある日支隊長の計らいでもって、私の折伏の応援にその人がくる事になりました。
合流して対象者を待つ間は、「大丈夫かよ、この人‥」と不安だらけでしたが、いざ折伏となると一生懸命仏法を語る姿に尊敬の念が湧きました。
終わってみると彼に対する変なイメージは払拭されて、戦う同志の絆が残っておりました。

信心の語り合いも時には大事だと思います。しかし具体的な日時を決めたり、詳細な打ち合わせがない限り、多くの場合は結局、不毛に終わってしまうのだと思います。
「あぁ今日はいい語り合いができた」と思って帰っても、そんなのは何かマイナスな外的要因によってすぐしぼんでしまいます。
やっぱり掛け声や決意を述べるだけではダメです。

そう考えると「異体同心」は「結果」ではないかと思います。

御命題成就のための異体同心というと、まずは異体同心が先決というような念にとらわれてしまうような気がしますが、そう思って色々努力してみてもきっとなかなか上手くいきません。

だから猊下様の仰るように、折伏ができない人を先輩が一緒に折伏に連れていく、というのは育成の手段としてとても合理的だと思います。

折伏という実践をして得られた結果が「異体同心」であって、「異体同心」してから折伏に出かけるのではないのだなぁ、と思いました。

奉安堂は安普請ではありません

「奉安堂」とは「戒壇の大御本尊様」をお護りしている建物の事です。
浅井会長はこの奉安堂に対して、「突貫工事で造った安普請(やすぶしん)」と批判し、「大地震に備え、もっと堅牢な建物にお遷しするべきだ」との主張を「建白書」に著し、それを現御法主上人である日如上人に送り付けましたね。

奉安堂の写真はウェブで検索をかければ確認する事ができますが、どの写真も、大概はどのくらい大きな建物なのか比較・対象する何かが一緒に映っていないと思いますので、実際のサイズがイマイチピンとこないかもしれません。

下の写真は私が直接、スマホのカメラで撮影したものです。

20140818100051.jpg

遠くからの撮影で少々見づらいかもしれませんが‥(スマホや携帯で閲覧されている方すみませんm(__)m)、歩いている人間と比較すると、鉄柱の太さや扉の重量感などがお解り頂けると思います。

問題の耐震強度についてですが、地上部では鉄骨造のラーメン構造(一部CFT柱)、地下部では鉄骨鉄筋コンクリート造(一部鉄骨造)の耐震壁付きラーメン構造、そして制震部材では難燃性のシリコン系充填材を用いた制震ダンパーとなっており、一応「震度七」まで耐えうる構造で設計されているそうです。

浅井会長がいくら背伸びをしたところで、恐らく今の顕正会ではこの奉安堂以上の堅牢な建造物を造る財力はないはずです。

もし仮に日如上人猊下が、あの建白書を受けて「では、顕正会で建ててみよ!」となっていたならば、その時浅井会長はどうしていたでしょうね。
富裕層の少ない顕正会で御供養金を募ったところで、きっと大した金額は集まらないでしょう。

実際に顕正会の会館なんて‥
と、これ以上は話の裏がとれていないのでやめておきます(-_-;)

ブログ紹介。*manami*no*顕正会体験記。

本日は、脱顕正会員さんのブログをご紹介致します。
タイトルは「*manami*no*顕正会体験記」
ブログ説明は「顕正会員として過ごした18年間の思い出と心の葛藤、現役顕正会員との対話を綴ります。」
とのことです。→こちらからどうぞ。

更新頻度が高く、最近とても頑張っておられます。
過去記事の「№1」から順に読んでいくと、顕正会によって洗脳されていく過程がリアルに綴られており、また内部の生々しい実態が暴露されています。
平易な文章で、書き手の思いが良く伝わってくる大変良いブログです!
皆様、是非ご覧あれ!
(※当ブログのリンクコーナーにも追加しておきました。)
また、特別にブログ主であるmanamiさんに許可を頂き、数ある記事の中でも私が特に興味深かった内容の記事を当方にて転載させて頂きます。
記事のタイトルは、
「その後…男子部の組織内に回った一斉メール(こぼれ話し)」

以下です。

各位

現在、浅井先生を誹謗し顕正会を退転したM・A(元支隊長)、K・H(元組長)が、今まで本人達が入信させた顕正会員のところに来てはその者をたぶらかし、腐敗堕落の法華講に引き込もうとしています。
事実、昨日、●原組長宅に訪れ組長の母は、

「顕正会は御相承を受けていない」( 御相承を受けていないのは事実ですよ・・manami )
「顕正会の本尊はニセモノだ」(これも事実です。日蓮正宗の御本尊様を勝手にコピーして使ってるでしょ。manam )

などと信心の欠片もない全くのデタラメを、さも平然と情に絡めて眩惑させられ危なかったとの事でした。
元来、M・Aは虚言壁があり、また後輩を思いやある気持ちなどさらさらない我慢偏見(これは我慢偏執というんですね・・本当は manami )の者でした。
しかし、悪事が●田隊長によって暴かれ●井総男子部長のお耳に入るや、M・Aはその非を認め支隊長から組長に降格となりました。

ところが、翌日から音信不通となり●田隊長や●光支隊長が何度諌めに行くも逃げ回る始末で(未だに逃げ回っている)→(逃げ回ってませんよー。全然!manami)半年近くなりを潜めていたかと思ったらM・Aはとうとう長野にある末寺、妙ゆう寺(長野にそんなお寺はありません…manami)の末端の講員に成り下がり妙観講の豊田(樋田さんです。しかも妙観講ではありません manami)と結託し仏敵となって、まず●林班長のもとに現れたのです。

手口は同じで、顕正会員の純粋さにつけこみ、口八丁手八丁のM・Aは情に絡めて眩惑してきました。(虚言壁があって口八丁手八丁は○田隊長だと思うけど・・manami )
●林班長が毅然と諌めると(実際は毅然と諌めたのはこちらです。詳細はyoutubeをご覧下さい 動画はこちらから
●井先生を嘘つき呼ばわりし、しつこく勧誘してきました。
もしM・Aやその手下のK・Hから取り次の電話や訪問があったとしたら絶対に耳を貸さず直ぐに先輩に報告し、酷ければ警察を呼んで自分の信心の強さで魔を退散させて参りましょう!

支離滅裂な一斉メールでした (-_-;)


転載は以上です。

メールの中の、
『「顕正会は御相承を受けていない」などと信心の欠片もない全くのデタラメ』
とは実に噴飯ものですね(笑)
翻せば、顕正会が御相承を受けている事を肯定する文章になってしまいますからね。(因みに会が御相承を受けるというのは変なので、正しくは浅井会長が、と言いたいわけですね。)
確か、過去に浅井会長は、御相承を受けているのではないかと言われたことに対して、「そのような事は全くのデタラメ。御相承の授受については御法主上人御一人以外の者の知るところではない」と激怒していましたよね。
このメールの作成者は、あまり顕正会の教義に詳しくないか、すこぶる悩乱しているかのどちらかですね‥。
[ 2014/08/21 20:27 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(0)

体験発表

今度の群馬布教区の広布推進会にて有難くも体験発表させて頂くことになりました。
原稿の内容は前回に支部総会で使ったものに、多少加筆・修正を加え、新しく書き直したため、再度ブログに掲載したいと思います。

――――――――――――――――――――

私は平成25年11月30日、冨士大石寺を詐称する、邪教在家団体である「顕正会」を辞め、善成寺において、晴れて日蓮正宗信徒と成らせて頂きました。

中学生までの間は、母方の祖父母が信仰していた日蓮宗系の一派である「本門佛立宗」を信仰しており、教祖「長松日扇」が作った、曼荼羅を自分の部屋に置いて拝んだり、日曜日には家族、あるいは祖父母と共に、私の郷里にある「本門佛立宗」寺院に行って法要に参加するなど、幼いながらも興味を持って、信仰しておりました。
その頃の私は「本門佛立宗」を信仰する故の害毒か、大変な「虚弱体質」で、落ち着きがなく、学校に行くのも嫌なほど、生命力もなく、また家庭も、居酒屋を営んでいた父の店は倒産してしまい、経済苦や両親の不仲から、家庭内は常に殺伐としておりました。
高校生・専門学生時代には、邪教の信仰からは離れたものの、相変わらず学校を欠席する日が多く、今振り返ると、高校も専門学校も卒業できた事自体が不思議なくらい 、放埓で自堕落な生活を送っていたと思います。
専門学校を卒業した19歳の時、同じ専門学校の生徒であった顕正会員から勧誘を受けました。得体の知れない宗教団体に気持ち悪さを感じ、その場ではキッパリ断ったのですが、その後、数度に亘って勧誘を受けました。相手の熱意に押されたこともあり、義理で顕正会に入会してしまったのです。
その頃の私は、親元を離れ、東京で友人と同居しており、経済的に苦しい状況で、生活に多くの悩みを抱えておりました。また仕事をしていなかったため時間を持て余しておりましたので、何か新しいことを始めるのに都合の良い時節であったという条件も重なっていたのです。
顕正会紹介者の「お金がかからない、良い事がある、宿命が変わり悩みが解決する」といった甘い言葉から徐々に私の心は顕正会に傾き、目先の利益に目がくらみました。
そして何かうさんくさいとは思いつつ、顕正会の信仰を始めてみると、気が付けば、あっという間に活動にのめり込んでいたのです。
罪障を積むとは知らず、友人、知人達を次々と勧誘し、顕正会を辞めるまでに本当に沢山の方達をニセ本尊の前に連行し、顕正会に入会させてしまいました。
組長、班長と次第に顕正会から役職を命じられると、およそ信心とは関係のない優越感を得、更には「あと数年で広宣流布」などと全く根拠のない使命感に踊らされ、すっかりと盲目になっておりました。後先を考えず、無鉄砲に活動を続けていく中で、徐々に生活の基盤は崩れ、社会との軋轢が生じ、最終的には自分の人格に対してまで不審を懐くようになったのです。


会員活動の実態は酷いもので、幹部会員は無理な勧誘ノルマを課せられ、組織の入会者数のノルマを達成する為に書類を偽造して数字合わせをしたり、私の所属していた組織では、入会者数の9割以上をネパール人等の外国人が占めておりましたが、まともに仏法の話をしないまま入会させており、あとは放っておくという、折伏、育成の精神のカケラもない活動内容となっておりました。上長である支隊長からも、ほとんどまともに仏法の話を聞いた事はありません。
その上の隊長も話が常に一方的で、自分の言いたい事があっても、大概は言うことができませんでした。
顕正会では、一応は戒壇の大御本尊様や大聖人様の尊さを教えるのですが、真の目的はその信仰心を浅井会長への帰依にすり替えていくことであり、更には仏法にかこつけて、浅井会長の為なら命を捨てるといった、狂信者、妄信者にされてしまう事が行われております。
例えば顕正会の会合における登壇者は、必ず最後に「無二の師匠、浅井先生に必ずやお応えして参る決意であります」という決まり文句を付けたり、「国家破産は眼前」「2020年代には中国が攻めてくる」等と、予言めいた事を言っては、終末思想を会員に植え付けています。
更に、顕正会のみが日蓮大聖人の仏法を実践している団体だと洗脳され、「顕正会には特別な使命がある」「なにがあっても大丈夫」との浅井会長の言葉のみを固く信じ込んでいる為、顕正会員だけは特別に護られる、といった様な、未来に対して全く根拠のない妄想を懐いています。そのために生活面での現状や目の前の問題を直視することのできない会員が多くおります。例えば、大幹部であるにも関わらず、活動を優先するために職を転々とする人もいます。
私自身も、顕正会員時代はその様な思想に染まり、際限なく時間と労力を顕正会の為に消費してきました。

活動の内容は年々酷くなっていく感があり、浅井会長の指導とそれに対する中堅幹部の振舞いの相違をきっかけに「大聖人様の仏法は素晴らしいけど、唯一正しき団体といいながら、一体なぜこの様な実態なのだろうか?」と次第に疑問に思うようになっていきました。
その様な中、顕正会では禁止されている、「インターネットで顕正会を調べる事」を始め、顕正会を辞めて、日蓮正宗信徒となった方の沢山のブログ等を閲覧するうちに、徐々に顕正会の誤りに気付き始めたのでした。
特にその中でも、妙相寺支部の「セロリさん」の書く記事に心を大きく動かされ、直接電話して話すようになりました。
すると浅井会長から、植え付けられていた「日蓮正宗の悪いイメージ」が、徐々に氷解していったのでした。
しかし、顕正会はほぼ間違いだったと理解してからも、師匠だと思っていた浅井会長に対して、情の面での執着が拭えず、日蓮正宗に移る事を躊躇しておりました。
しばらくして、頭で考えても答えが出ないとの結論を得、御僧侶に会ってみたいと思うようになり、平成25年11月17日、思い切って善成寺の門を叩き、初めて木村御住職とお会いしたのです。
その日はちょうど「お会式」の日で、法要が終わった直後、突然の訪問にも、木村御住職は真摯に対応され、私の愚問の一々に答えて下さったのです。
また、木村御住職様は日顕上人の直弟子と聞き、今まで恐れ多くも日顕上人に大変悪いイメージをもっていた私は、木村御住職様の御慈悲、尊いお振舞に接し、その様なイメージはその場で氷解致しました。
その日は「じっくり考えてから決めても良い」と御住職様は仰って下さり、帰りましたが、考えれば考える程、「木村御住職様の下で信心させて頂きたい」との思いは日を追うごとに増し、遂には自分で善成寺の電話番号を調べ、御住職様に御授戒を受けたい旨の連絡を入れ、11月30日、晴れて御授戒を受けさせて頂きました。

顕正会の勤行は二座だけを読み、お題目を五分唱えるという独自の形式で、短時間で済んだため、初めて五座三座の勤行のやり方を聞いた時は、「こんなに長いのか…」と思いましたが、実際には時間の長さもさほど気になることはなく、むしろ御本尊様に通ずる本物の勤行というのは大変気持ちが良いものでした。顕正会では遥拝勤行などといって御本尊を安置せず。一度も見たことのない大石寺の戒壇の大御本尊様を無理矢理想像しなければなりません。また「有難い」という言葉を必要以上に強調するので、「頑張って有難いと思わなければ!」と大変力んだ勤行となり苦痛でしたが、現在は自宅に御本尊様をお迎えすることが出来、顕正会のニセの化儀ではなく、宗門伝統の正しい化儀に浴する喜びを感じつつ、安心して自行に励んでおります。

また一月の支部総登山で初めて総本山大石寺へ行き、戒壇の大御本尊様をこの目で拝する事が叶いましたが、まるで霊山かのような大石寺周辺の風土の明媚さ、歴史ある建造物の数々に鳥肌の立つような感動を覚えました。
すると同時に大石寺は「今は行ってはいけない謗法の地である」と私を騙し続けてきた。浅井会長に対し激しい怒りがこみ上げてきました。
しかし、騙されていたのは自分自身であって、全てを浅井会長のせいにするのは愚かなことで、自らが招いた結果であると、冷静に受け止められるようになりました。これからは境界を変える為、真剣に罪障消滅に励みたいと思います。

御開扉の際には顕正会時代の活動一々が思い起こされ、「日蓮正宗に移れて本当に良かった」と、心の底から歓喜がこみ上げました。そしてお扉が開いた瞬間、溢れる涙を止める事ができず、前半は全く読経すら出来ませんでした。

現在、日蓮正宗に帰伏して約9か月、顕正会時代にはどうしても直すことができなかった職場への遅刻癖はなくなり、霧がかかったようにぼやけていた思考回路も、日を経るごとに明晰となっていくような感覚があります。
また以前の自分の主張だけを押し通す事しかできなかった狭い世界観から、まずは相手の話を聞き、落ち着いて物事を捉えて判断する能力、人間としての心の有り方や日常の振舞について深く思慮するようになるなど、六根清浄の果報を少しずつではありますが、実感しております。

日蓮正宗信徒となった今、強く思う事は「世法即仏法」との腰を据えた信心を常に心がけ、世間からも認められる様な日蓮正宗の発展の一翼を担う信徒となり、御命題成就、広宣流布のお役に立たせて頂きたいと思います。
ご静聴有難うございました。

――――――――――――――――――――

顕正会に疑問を感じている現役顕正会員の方、
顕正会の活動から離れた未活動状態の方、
顕正会教義の誤りについて詳しく知りたい方、
日蓮正宗で行われている活動を具体的に知りたい方。
是非、電話、メールにてご相談下さい。
微力ながら、貴方の「求道心」に、少しでもお役に立てれば幸いです。
勿論、現役顕正会員さんからの法論も受け付けます。
ミミへの連絡先はこちらから
[ 2014/08/18 19:34 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(3)

ニセ本尊 「功徳の血脈から考える」

日有上人 化儀抄 第八条

【筋目を正して願い出る】

----------------------------------------
<条文>
実名(じつみょう)、有職(ゆうそく)、袈裟(けさ)、守(まもり)、曼荼羅本尊等の望みを、本寺に登山しても、田舎の小師へ披露し、小師の吹挙(すいきょ)を取りて本寺にて免許有る時は、仏法の功徳の次第然るべく候。直に申す時は、功徳爾(しか)るべべからず云云

――――――――――――――――――――
<現代語訳>
日号、阿闍梨号、袈裟、御守御本尊、常住御本尊などの授与を法主上人に願い出る場合、総本山に登山して願い出を出すにしても、先ず菩提寺の住職に申し出て、その住職の推薦を頂いた上で、総本山において下附のお許しが有った場合は、そこに御本仏・大聖人かた流れる仏法上の功徳が確かに具わるのである。正式な手順を経ないで、勝手に総本山に対し種々の願い出をする時は、その願い出は聞き届けられず、仮に巧妙に願い出を通せたとしても、そこに功徳は具わらないのである。

------------------------―---------------

本条では、法主上人に対して種々の願い出をする際には必ず手続(てつぎ)の師匠たる菩提寺の御住職を通さなければならないことを指南されています。
条文の中で、日号、阿闍梨号、袈裟については僧侶に対する事柄でありますが、本尊については信徒にも直接関わりのある内容です。
化儀抄第四条にも示されておりますが、菩提寺の御住職の事を「手続の師匠」と称する理由は、信徒と御本尊(大聖人)との取次ぎ役としての役割を担っている故であり、またこの役目は、御法主上人から与えられた任なのです。
この、御本尊様(大聖人)→御法主上人→末寺の御住職→信徒。という筋目を守らずに、手続の師匠たる末寺の御住職をとびこえる行為は、その御住職を任命した御法主上人の御意志を蔑(ないがし)ろにするものであり、突き詰めれば大聖人様の御意に逆らう結果となってしまいます。
従って、功徳を頂けない行為であると御指南されているのです。

顕正会が所持している御本尊である、日寛上人の御形木御本尊や日布上人の大幅の御形木御本尊を初め、全ての御本尊が「ニセ本尊」といわれる所以(ゆえん)は正にここにあるのです。

御利益の有無を論ずる前に、大事なのは功徳の流れ道という道理を明確に示す事であり、そこが定まらない限りは、いかに現証を語るとも、それは不毛の論であるということなのです。

では、具体的に、日蓮正宗の御本尊様が、一体どのような経緯を経て顕正会の所有となったのでしょうか。

昭和49年の解散処分よりも後に日蓮正宗から顕正会に対して御本尊様が下附されるはずはありませんから、解散処分直前に遡(さかのぼ)って再確認してみたいと思います。

まず昭和48年12月22日、妙信講本部会館が東京常盤台に新築落慶した際、その本部会館には妙縁寺重宝の御本尊が安置されたわけですが、実はこの御本尊は松本日仁住職と浅井会長親子の間のみで貸与の約束がなされたものでした。

つまり、正式に宗務院許可、および妙縁寺総代の了解を得た手続きを経ていなかったのです。

ですから当然、妙信講破門後の裁判で日蓮正宗は返却要求しております。しかし現状は未だに妙縁寺に返却されてはいないようです。

このことは、顕正会破門直後の昭和49年10月19日、日達上人の「宝浄寺創立10周年記念本堂改築落成式の砌」における御指南を拝せば良くお解り頂けるかと思います。
 
「また、妙信講は本部を造ってそこに、御本尊を安置しております。それは、妙縁寺というお寺、本所中之郷の妙縁寺の御本尊を宝物の御本尊を住職がうっかりしてしまって、以前に、「十万所帯の人を折伏するから、御本尊を借して下さい」と云うから、まだ、日蓮正宗の一団体であったから、住職が貸したのです。ところが、今度そういう風にして、宗門から破門されたから、今度は返してくれと住職が云ったら、いや一万所帯作ったら返しますからと云う。じゃあ謗法の信者を十万所帯作られたら、もっと大変な事になってしまう。早く返してもらってくれと云うのだけれども、仲々らちがあかないで、困ってしまう。」

この御指南と前述の化儀抄を合わせて拝せば、、顕正会の所持している御本尊というのは、既にこの当時から、功徳の流れが絶たれてしまっていたという事が良くお解り頂けるかと思います。

また「大幅の常住御本尊七幅と、日寛上人書写の御形木御本尊数百幅」についても浅井会長は「妙信講に解散処分が下された時、私は松本尊能師に将来の広布推進の為、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た。」と自ら仰っていますから、必然的にこの日達上人の御指南の中の返還を要求している御本尊のうちに含まれるという事ですね。

功徳の有無、そして成仏の可否ということは、全て大聖人の見定めによって決定するということを顕正会員さんには知ってもらいたいと思います。

顕正会男子五万人大会について

平成26年9月7日に開催を予定している「顕正会男子部5万人大会」まで、ついに1ヶ月を切りました。
結集の戦いもラストスパートに突入した今、班長以上の中堅幹部会員はこぞって人集めに奔走していることでしょう。
世間ではお盆休み、上京している学生の顕正会員さんは地元に帰省して、同級生宅などを片っ端から訪問折伏(アポなしの飛び込み勧誘)、する絶好の機会です。また社会人の顕正会員さんにも同じ事が言えると思いますが、大会前最後の大型連休ですから、結集ノルマ達成へ向けたラストチャンス、正念場になることかと思います。

顕正会の活動者実数はたかが知れているとはいえども、会員の総力をあげて声掛けが行われるわけですから、これから一ヶ月の間は「顕正会男子五万人大会」というワードが全国至るところで飛び交う事になるでしょう。

大会の参加を促された未入信の方や、顕正会の活動に対し消極的な会員さんは、一体どの様な大会なのか、ネットで調べてみるかもしれません。

そこで、セロリさんブログにおける過去の記事を参考に、改めてその大会について記事にまとめてみたいと思います。

【会場であるさいたまスーパーアリーナでは五万人の収容は不可】

さいたまスーパーアリーナの会場の使い方についてはスタジアムモードというメインアリーナとコミュニティーアリーナを一つにして使用する方法と、2つを分けて使用する方法とあるそうです。
顕正新聞2月5日号に掲載された浅井会長の発表によると、どうやら二つに分けた形で使用する様です。
具体的には

・メインアリーナ(メイン会場と発言)
・(隣接する五千席の)コミュニティアリーナ
・展示ホール(別棟大ホールと発言)
・ロビー(メイン会場の一階から五階の広大なロビーと発言)

浅井会長は「これで五万収容は充分」だと述べています。

しかし、会場ごとの最大収容人数の詳細を見てみましょう。
まず、メインアリーナでは必然的に『エンドステージ2』のレイアウトで使用することとなりますので、まず、そこでの収容人数は「約1万6千席。」

そして、コミュニティアリーナは会長自身が5千席と発表しておりますので、合わせると「2万1千席」。
壇上や舞台袖をフルに使ってもせいぜい、「2万3千席」ということが推測されます。

更に、展示ホールについては、HPに収容人数の記載はありませんが、セロリさんが専有面積から割り出した計算によると、1千人の収容がやっととのことです。

最後にロビーに関しては、いくら「広大」とはいえロビーはロビーですから、メインアリーナ、コミュニティアリーナ、展示ホールを合わせた数よりも多い人数を収容できるとは常識的に考えても到底思えません。

要するに、顕正会の公式発表による会場の使用方法によれば、最大収容人数はたかが「2万4千人弱」という事になり、はなから五万人を結集する気などさらさらないという事がお解り頂けるかと思います。

【結集成果の水増しは顕正会の十八番】

昭和49年7月28日、妙信講(顕正会の前身)は、明治公園(東京・千駄ヶ谷)において『立正安国野外大集会』と称し、「3千名」を結集したと発表しました。大会の後、「政治のために仏法を曲げるな」「謗法与同を許すな」「国立戒壇こそ大聖人の御遺命」等のプラカードを持って、四谷駅まで2キロをデモ行進したそうです。
しかし、
警視庁の調べなどによれば実際の人数は「千百名程度」であったとのこと。

また近年でいえば、平成21年8月開催の「男子三万人結集大会」で使用された、長野市のエムウェーブという会場の最大収容人数は「2万人」。この人数制限を超えれば消防法違反となってしまいます。
当時私は顕正会員としてバリバリ活動しておりましたので、実際に現場にて会場での様子をこの目で確認しておりますが、大会の開始当初は空席だらけの状況、最終的に埋まらなかった後方席の椅子は片付けられてしまいました。
ですから実際の結集成果は「二万人前後」を推定されるにも関わらず、顕正会では堂々と「三万」と発表されております。

今回に大会においても恐らく、一万六千人収容のメインアリーナが一杯になったところの写真を顕正新聞の一面記事に掲載して、「沢山集まった様にみせかける」ことが狙いではないかと思います。
スタジアムモードの「エンドステージ1」というレイアウトで大会を行えば、メイン会場だけで「三万人」の収容が可能であるにも関わらず、わざわざ会場を小さくして使用するということは、実際は「三万人」の結集すら危ういと踏んでのことでしょう。
空席が目立つようでは「絵」になりませんからね。

【結集成果は増すどころか、実際は下降の傾向にあるのではないか】

過去に当ブログにおいて記事にしたことがありますが、顕正会で毎月行われる「班長会」の結集人数を見れば、能動的な活動家会員の実数はおおよそ見当がつきます。

H25/7月度男子部班長会…6086名

H26/2月度男子部班長会…5904名

大きな大会を眼前に結集状況がこの有様では、顕正会の人材枯渇は必至なものと窺えます。

【勇気をもって断ろう!】

「五万人も集まるんだよ凄いでしょう!」「こんな凄い大会があるのは初めてだよ!絶対予定空けておいてね!」顕正会員は様々な理由をつけては、大会の参加を促してくるはずです。
しかし、
このような数を偽った、くだらぬ大会に自身の大切な時間を割いて付き合う必要は全くありません。

【幹部会員は気が付いて下さい!】

「小手先の小細工」で、成果を誤魔化して、会員や世間を騙して、それでも顕正会は正しいと本当に言えるのでしょうか?きっと大聖人様は御照覧ですよ。

※もし、大会後に顕正会員の中で「五万人が確かに集まった」という信憑性のある資料を明示できる方がいらっしゃったら教えて頂きたいと思います。本当に五万人集まったということが実証され、それが客観的な視点からみても間違いない事実であったならば、即刻このような記事は削除致します。

ブログはこちらへ移転しました。→新ブログ「IDORA」へ

H26/8/5 猛暑日

うだるような暑さの日々、皆様いかがお過ごしでしょうか?

まめに水分補給をするなどして、熱中症には十分お気を付け下さいm(__)m

本日、気象庁のホームページによりますと、私の勤務地である伊勢崎市の気温は13時30分の時点でなんと全国一位

そして、私の担当部署の温度計では‥。


20140805093710.jpg

なんと42℃でした
[ 2014/08/05 22:18 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(2)

「日顕上人は浅井先生の法論対決から逃げた」との邪難について 2

前回記事の続きです。
総本山大石寺、第九世日有上人『化儀抄』より。

『第44条 処分者に交わるな』

『一、上代の法には、師範より不審を蒙る族(やから)をば一度訪(とぶら)うべし、二度は訪うべからず、と云う大法なり。其の故は、与同罪の科(とが)大切なり。又、堅く衆に同心に会せずしてこらさんが為めなり。亦、衆に見こりさせん為なり。』

本宗(日蓮正宗)においては、日蓮大聖人・日興上人の代から定まっている掟として、師匠から謹慎などの処分を受けた人に対しては、一度は、その人を戒めるために訪問し、話をしても良い。しかし、二度とは、その人を訪問してはならない、というのである。
「其の故は」。なぜ二度とは訪ねてはならないのか、その理由を三つ挙げられている。
まず、一番目の理由は、与同罪を恐れるからだ、とされている。
要するに、一度でわからなかった者に、二度、三度、重ねて話していくと、人情に絡まったり、言葉巧みにたぼらかされたりして、結局、自分も相手と同じ気持ちになっていってしまう、それでは与同罪になってしまうというのである。
二番目の理由としては、処分を受けている人を孤独にすることによって、よくよく反省させるためだ、とされている。
実際、閑静なところで孤独にしておかれれば、まだ反省することもできるが、愚痴を聞いてくれたり、話すことによって気が紛れる、というような相手がいると、なかなか心からの反省ができなくなる。ましてや、これまで付き合っていた人が、今までと変わりなく、頻繁に訪ねてくるということになると、悪いことをしたという自覚が、だんだん薄くなっていってしまうものである。
三番目の理由としては、処分を受けて孤独な状態におかれているという姿を大衆にみせる事によって、いまだ罪を犯していない人達の、将来の戒めにするためである、とされている。
(化儀抄のやさしい解説 P112~113)

顕正会では日有上人の存在すら知らない方が多いかと思いますが、顕正会勤行要典の御観念文に「…冨士大石寺歴代血脈付法の御正師云々」とある以上は、総本山第九世日有上人も敬うべき先代の御正師と知らなければなりません。

二番目の理由に「孤独にする」とあります。今の顕正会員さんにはあまり実感がないと思いますが、妙信講時代は当たり前のように行われていた大石寺への御登山も許されなくなる事も意味しますね。

顕正会員さんがまず忘れてはならないのは、「顕正会の前身は日蓮正宗妙信講であった」という事、つまり「スタート時は日蓮正宗の一講中であった」という事です。

ですから、教義も全て日蓮正宗の真似事、時を経ると過去の事実は記憶から薄れてしまいがちですが、全ての出発、大本はそこからなのです。

つまり顕正会は日蓮正宗からすれば「処分者」という扱いになるのであって、解散処分後の日蓮正宗から顕正会に対する接し方や、関わり合い方については、他の宗派とは相違があって当然でしょう。

顕正会は本来、日蓮正宗に対して「反省・懺悔すべき立場」であって「決して攻撃する立場」ではないという事です。

翻って言えば、日蓮正宗側から顕正会に求めるものというのは「反省・懺悔」なのです。

ただし、破邪の精神に基づいた道理の上から、御法主上人に代わった御弟子さんが公式に返書という形に著し、最低限の然るべき対応したものと拝します。

日蓮正宗は「信仰の団体」ですから、チンピラ同士の喧嘩などとは全くわけが違うのです。

上代の定めし掟に従う事は伝持付属の意義からしても基本的には大変重要な事なのだと思います。ただし、どの部分が本義・本筋であるか、外れなくとも、どの範囲まで寛容な解釈が許されるのかといった御判断は時の御法主上人に一任されるところなのでしょう。

三番目の理由である宗内の戒めという意味においては、浅井会長の宗門離反の姿こそ正に大変良い反面教師になっている事は間違いありません。









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