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顕正会の本尊は何故「ニセ」なのか?

もしカラーコピーで紙幣を複写し、お札を作製するとします。どんなに本物を見分けがつかないほど精巧につくられたとしても、それは『ニセ札』であり、作製し使用すれば法的に罰せられることになります。なぜなら、

1、政府の正式な許可がなく
2、日本銀行から発行されたものではなく
3、自分で勝手に作ったもの

だからです。顕正会の「ニセ本尊」もまったく同じ道理です。

1、御法主上人の許可を受けず
2、総本山から下付されたものではなく
3、顕正会が御本尊を勝手にコピーして作製したもの

だから「ニセ本尊」というのです。

以上の1~3の中で、顕正会員さんにとって特に事実として受け入れ難いのは三番目の理由ではないでしょうか?

顕正会員さんとお話をする中で、こちらが「顕正会の本尊はニセ物です!」と指摘すると、相手方はまるで鳩が豆鉄砲を食ったように、「一体何を言い出すのだろうこの人は?」と言わんばかりの表情を浮かべながら、きょとんとしてしまう人がしばしばいらっしゃいます。

私も7年間顕正会に在籍して、苦しい時も楽しい時も、顕正会の本尊に題目をあげてきた過去がありますから、「ニセ本尊」と指摘された時の顕正会員の心中は少なからず察し得ます。

私自身も初めて「ニセ本尊」と耳にしたときは、一体何の事を言っているのか皆目見当もつきませんでした。

そこで私はそのような方に対し、次のような例を示して説明してあげています。

あなた(顕正会員)はまず、顕正会館に安置されている御本尊をデジカメで撮影します。

それを持ち帰り、パソコンに落とします。

その御本尊の画像の中で余計だと思う箇所や、都合の悪い箇所を編集して削除します。

その画像編集した御本尊をプリントアウトして、壁に掛けます。

あなたはそのようなもの(本尊)を有難く拝めますか?

すると、多くの顕正会員さんは、決まって顔をしわめながら、「そんな恐れ多いことはできるわけありません」と、仰います。

しかし、浅井先生はそれをやってしまっているのです。

あなた(顕正会員)が日々参詣し、題目をあげている顕正会館の本尊とはそのようなものなのです。

続く。
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「冨士」昭和38年12月号(P12~16)“正しい勤行”

冨士昭和38年12月号P12 五座三座の勤行
冨士昭和38年12月号P13 五座三座の勤行 2
冨士昭和38年12月号P14 五座三座の勤行 3
冨士昭和38年12月号P15 五座三座の勤行 4
冨士昭和38年12月号P16 五座三座の勤行 5

―――――――――――――――――――――

現在顕正会で行っている勤行とは全然違いますよね。
いつからか定かではありませんが、浅井先生の一存によって勤行の形式まで変えられてしまったのです。
日蓮正宗ではこの「五座三座の勤行」を実践しております。
最後、五枚目の写真の「合掌及び目の位置」に補足を加えれば、合掌は口の前ではなく「胸の前」。目線は「妙」の字に焦点を合わせるのが基本です。

「冨士」昭和37年10月号(P35)“偽本尊の定義”

冨士昭和37年10月号35ページ




「諸宗は悉(ことごと)く本尊に迷えり」
大聖人からの付属もない者が勝手に作り上げた偽(にせ)本尊である。

―――――――――――――――――――――

対境とする本尊を謬(あやま)った場合、発する智慧も行動もおかしくなってくる。

謬れる本尊とは、大聖人からの付属もない者が勝手に作り上げた偽(にせ)本尊である。

顕正会の会館に置かれている「日布上人の大幅の御形木御本尊」は、日蓮正宗で下附された記録のない、出処不詳の御本尊です。
であれば必然的に、顕正会が自前で作成したモノだと断定され、それを信仰の対境とする顕正会員の智慧も行動もおかしくなってきます。

顕正会に付属がないのであれば、それは「偽本尊である」と浅井先生は仰せなのです。

「ある」という顕正会員さんは、「そもそも付属って何?」と聞かれても良くわからないのに適当なことを言わないで下さいね。
【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和37年6月号(P30)“八品門流を破す”

冨士昭和37年6月号 P30 相伝にあらずんば知りがたし

結局は相伝が無き故に八品(はっぽん)門流に於(おい)てはその邪義が生じてくるのである。仏法は令法久住の為(ため)必ず唯授一人(ゆいじゅいちにん)の相伝即ち血脈相承がある。(中略)八品門流は何処に相伝が有るか、知ろう筈がない。(中略)他宗に於ては口に題目を唱え、手に御書を持って勉強しても、仏法の奥底(おうでい)を究める事は不可能である。

――――――――――――――――――

顕正会員は何処に相伝が有るか、知ろう筈がない。
顕正会に於ては口に題目を唱え、手に御書を持って勉強しても、仏法の奥底を究める事は不可能である。

まさか、八品門流に対しての破折が、そのまま未来の顕正会を破折することになろうとは、思いもしなかったでしょうね。

顕正会員さんには是非、「今、相伝は何処にあるんですか?」と先輩に質問してみることをオススメします。

私は、総支隊長補に「わからない」と言われました。
【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「如説修行」の三義

先日奉修された、十月度の御報恩御講にて御住職様より「如説修行」についての講話を賜りました。

この「如説修行」という言葉ですが、顕正会でも多用しますよね。私も顕正会時代には良く耳にしました。
例えば、「無二の師匠浅井先生の下、如説修行が叶う有難さ」といったように、登壇の文中に良く登場したりします。

しかし、その意味について、果たして浅井先生から明確な御指導があったでしょうか。

私の記憶ではなかったと思います。

実はこの「如説修行」という言葉は法華経の中に「9回」も登場するそうです。その回数の多さに驚きです。
まぁそもそも顕正会ではこの「如説修行」の意味に限らず、どの仏法用語についても詳しく教えてくれませんよね

なんとなくニュアンス的に使っている用語が多いような気がしますが、世間のそこらの言葉とは違って、仏法の上で使われる用語には必ず甚深の意味合いが具わっています。
一つ一つの意味をしっかりと理解するところに新鮮な感激があるし、そういったものの積み重ねこそが信仰の礎となるのではないでしょうか?

今回の御講で御住職様が題材にされた御書は「如説修行抄」でした。

「如説修行の法華経の行者には三類の強敵の杖定んで有るべしと知り給へ。されば釈尊御入滅の後二千余年が間に、如説修行の行人は釈尊・天台・伝教の三人はさてをきぬ。末法に入っては日蓮並びに弟子檀那等是なり。我等を如説修行の者といはずば、釈尊・天台・伝教等の三人も如説修行の人なるべからず。」

※参考
「如」…その通りである事、同じ
「説」…仏が説いた教えや経典
「修」…習う、人格を整える
「行」…身に行う事

読んで字の如く、「仏様の説かれた教えの通りに仏法を実践する」といった様な意味合いだろう、というところまでは凡そ殆どの人が察しがつくのではないかと思います。
しかし「教えの通り」とは具体的に、どのような行体のことを指すのでしょうか?
そこを明確にしなければ、「如説修行」の具体的な方途が見えてきません。つまり実践的ではないのです。

そのことについて日寛上人が『如説修行抄筆記』というものを著し、この「如説修行」ということについて3つの義に開いて解り易く御指南されています。

○如説修行の三義

「人法相対」…<法に随順する>
如説は法に約し、修行は人に約す

「師弟相対」…<師匠の教えの通りに実践する>
如説とは師説なり。修行とは弟子に約す

「自行化他」…<自行と化他行を両立する>
如説とは化他なり。修行とは自行なり

以上。これらが三つの義となります。
ちなみに「相対」には「向かい合う」「関係性をもつ」といった意味合いがあります。

顕正会員はこの日寛上人の御指南に則って「如説修行」ができているのでしょうか?

細かく解析して書くと大変長くなってしまうので今回は「師弟相対」の「如説とは師説なり」というところのみに絞って考えてみたいと思います。

「師匠の教えの通りに実践する」ということは顕正会員は宗門信徒以上に強調する傾向があるかもしれません。

登壇の言葉尻には「無二の師匠浅井先生に必ずやお応えして参る決意であります」という文言が必ず入りますし、他の場面でも、「先生のお心」とか「先生仰せと通りに」とか、頻繁に耳にします。
顕正会員はとにかく、「浅井先生のお心に適った信心」を常に心がける意識においては、ある意味必要以上に強いと思います。

それ自体は素晴らしいことです。

しかし、ここで顕正会員に考えてもらいたいのは、自分自身のことではありません。

「浅井先生自身が如説修行できているのかどうか?」
ということなのです。

浅井先生の師匠とは一体何方なのでしょうか?
中島円妙院日彰上人でしょうか?松本日仁能化でしょうか?
しかしこれらの方々はとうに遷化されてしまいました。
今現在において、師とは何方か?ということですから、そうするとこのお二人の方々ではありません。

では、大聖人様でしょうか?
顕正会員に質問するとしたら、この回答が一番多そうですね
700年以上前に御入滅されているのだから、単純に考えてもまず物理的に不可能でしょう。

幸福の科学では「霊言」というものを説いて、その「霊言」が教祖とリンクして、「霊言」の意志が教祖を媒体として、皆に伝えるという教義があるそうですが、(実際に大川劉邦さんが、現在日蓮大聖人の霊言とリンクしていると主張してインタビューを受けている動画がありますが)、顕正会もそのような教義を立てているというわけではありませんよね。

根拠は、「教えに忠実だから」とか「御遺命を護ったから」なんて言いそうです。

また、「浅井先生は常住此説法の大聖人様の声を信心の耳で聞き奉っている」とも言うのでしょうが、ここでは、「今現在、生身の師匠がいるかいないか」という事を争点にお話をしているので、これらは全て論点のズレた頓珍漢な回答です。

つまり、「浅井先生には師匠がいません!」
ということは「師説」を受けることもなければ、何方かの「弟子」ということでもありません。
「浅井先生の中の空想の大聖人様を師と仰ぎ、弟子であるという妄想にふけっているだけに過ぎないのです。」


日蓮正宗では歴代先師上人を初め、全ての僧俗が必ず何方かを師匠と定めて、仏法を実践してきた歴史的事実があります。

例えば、日寛上人の師は日精上人です。
昔には末寺得度制に則した師弟関係の定めがあり、年分得度制の現在において、御僧侶方は皆御法主上人の直弟子となります。
在家信徒も皆ことごとく、それぞれの菩提寺の御住職を師と定め、師弟相対した信行に努めるのです。

師である浅井先生その人が如説修行の実践者でないということは、「師は針の如く、弟子は糸の如し」ですから、浅井先生を師とする顕正会員も総じて「如説修行ができていない」ことになります。

「如説修行」を日寛上人の御指南の通りに実践したいと願う顕正会員さんには、一刻も早く日蓮正宗に帰伏されることをおすすめします。

ブログのご紹介。

ブログのご紹介をさせて頂きます。

タイトルは「顕正会事件簿&破折資料室」です。

このブログは過去に法華講員の方が書かれたもので、顕正会員さんには少々難しい内容かもしれませんが、特に戒壇論については理路整然たる道理が示されおり、破折のマニュアルとしては非常に参考となる資料ではないかと思います。

ただ、管理人さんが長く更新をされていないため、現在では若干埋もれたような状態となってしまっているのは少々残念です。

そこで、それでは勿体ないと思い、管理人さんに許可を頂き、当ブログにてご紹介させて頂いた次第です。

カテゴリの顕正会事件簿では、過去の事件の詳細が書かれており、顕正会員さんには目を覆いたくなるような内容かもしれませんが、真実としっかり向き合うことは大事だと思います!

リンクコーナーにも追加で貼っておきます。
[ 2014/10/20 22:08 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(0)

「冨士」昭和37年2月号(P25)“御法主上人に随順する信心”

冨士昭和37年2月号 御法主上人に随順


御法主上人に随順(ずいじゅん)し信心して行けばよいのです。

―――――――――――――――

やはりこのことが一番大事ですよね。日蓮大聖人の仏法を実践するというのは、つまりこういう事です。
現在は「浅井先生に随順する信心が大事」ということになっていますが、いつの間にか随順すべき人がすり替わってますよね。
原点に立ち還りましょう。
【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和37年2月号(P1)“誇るべき伝統”

富士昭和37年2月号 教学について

折伏に当っては道理の剣を以って邪見を払わねばならぬ、教学なくして何で成し得ようか。

『行学は信心より起こるべく候』と大聖人は仰せらる。勤むべき行を為さず、励むべき教学を怠(おこた)ればそれは信心の弱い事を如実に物語っている。

―――――――――――――――――――――

これと比較して、現在の浅井先生の指導はというと

「折伏とは功徳(御利益)の讃嘆行」

「御法門の難しいことは何も解らなくとも良い。一念信解で良い」

ですね。

なぜ指導の内容がその様に変化してしまったのか、
と言うより、変化せざるを得なかったというのが本当の事情でしょう。

その事情とは?
顕正会員さんには、心を静めて良く考えてみてもらいたいと思います。
【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】

冨士の表紙

現在、現役顕正会員の中で、【冨士】の存在を知っている人は少ないのではないでしょうか?
【冨士】とは妙信講時代、昭和36年9月号を創刊として、その後、平成10年2月号をもって廃刊とされた、顕正会発行の“教学誌”です。(※上掲の写真は、H10/2号【冨士】の表紙)

私が顕正会に入会したのは廃刊されてからずっと後の平成18年ですので、当時組織内において【冨士】のことを口にする人はおりませんでしたが、たまたま私の上長は教学に対する関心が深かったために、会話の中で【冨士】の存在を知り得る機会がありました。

教学研鑽をするにしても、顕正会で用意されている資料といえば、折伏理論書と南無日蓮大聖人、解説無しの御書の小冊子くらいしかありませんので、【冨士】の存在を知った時、私は是非とも目を通してみたいと思いました。

すぐに、上長宅に眠っている【冨士】を貸して頂きたい旨を懇願しましたが、残念なことに上長は難色を示しました。結局その上長から私の手元に【冨士】が渡ることはありませんでした。

「過去の浅井先生の御指導を掘り返すのは良くない、現在の御指導が最も重要である」と、繰り返し指導されておりましたので、こちらも、「あまり追求し過ぎるのも害なのかな?」と思う反面、「何か知ってはいけない裏があって、隠しているのでは?」といった猜疑心も少なからずありました。

結果、諦める他はなかったわけですが、一方で「もし知ってはいけない事実があったとして、それを知ってしまったら自分は顕正会活動から離れることとなってしまうのではないか?」という恐怖心もありました。

まもなくしてその上長は、平成14年~18年までの顕正新聞を私に手渡してきました。
【冨士】ではありませんでしたが、それでも、その上長のお心遣いが大変嬉しく、またその後の私にとってそれは教学研鑽をする上で最も貴重な資料となったのでした。

思えば上長であったH支隊長も、当時、素直に【冨士】を私に手渡せなかったことは、きっと心苦しかったのだろうと思います。

現在の浅井会長の指導といえば、総幹部会では凡そ仏法とは関係のない国際情勢の話がメインであり、肝心な仏法の話は少なく、しかも同じ内容を繰り返すばかりの大変お粗末なものに成り下がってしまった感は否めません。

御書講義もいつの間にか無くなってしまい、顕正新聞の「やさしい教学」のコラムも打ち切りになってしまったようです。

「もっと仏法のことを知りたい!大聖人様の御事や大石寺の歴史についてもっと学びたい」といった素直な心をもつ会員は奇異な会員として異端児扱いされ、排斥される。

きっとそのような現状ではないでしょうか?

更に、「ネットの情報は全て学会の謀略」「宗門から発行されている書籍は謗法」という観念まで植え付けられており、これでは顕正会員が顕正会で発行されている書籍以外のツールを利用して、調べ、研鑽する余地すらありません。

「浅井先生の過去の御指導」は、唯一信用をおける情報源であることに違いありませんが、そういったものの存在は内部では完全に隠ぺいされており、触れる機会が絶たれてしまっているのです。

【冨士】の創刊号にて、現会長の父である浅井甚兵衛講頭先生は「誇るべき伝統」と題し、以下の様に仰っています。

「若(も)し正しき仏法に値(あ)っても、その拠り所である教学に励ずしては、自家の宝も持ちぐされ、確信も自覚も生れ出ない、(中略)より広く知りたいと思うは当然であり、知って更に信は深まって来る。(中略)励むべき教学を怠ればそれは信心の弱い事を如実に物語っている。」

一体何故、現在の顕正会では、教学を蔑ろにしているのでしょうか?また何故、過去の浅井先生の御指導は隠ぺいされるようになってしまったのでしょうか?

その理由は、「顕正会員が仏法の教学に明るくなってしまっては都合が悪いから。」また、「浅井先生の指導の内容が、過去と現在では大きく異なっているという事実をひた隠したいから」に他なりません。

しかし本物の求道心があれば知りたいと思うのは当然の事です。全て知った上で受け入れる、疑問を溜め込むのではなく、「疑問を一つ一つ無くしていく努力」こそ、「無疑曰心」(むぎわっしん)の精神に適った姿であり、日蓮大聖人の仏法を実践する上で心得なければならない信条ではないかと思うのです。

そこで、仏法を学ぶ意欲溢れる、柔和で正直な顕正会員さんの求道心に応えるべく、当ブログにて【冨士】の中から重要と思われる箇所を選り抜きして、少しずつご紹介させて頂くことに致しました。

また法華講員の読者の方々には、顕正会破折の際の一助として利用して頂ければ幸いです。

五万人集まらなかった「顕正会五万男子部大会」

顕正新聞「男子部大会」特集号がきたので、とりあえず第九面に掲載されている全体写真からざっくりと人数を数えてみることにしました。
縦×横でブロック毎の席数を割り出して、全席埋まった計算で、「約一万六千人」。若干写真には写りきれていない箇所を含めたとしても、まぁ二万程度といったところでしょうか。ただし空席がかなりあるので、実際は全然この数には及びませんが…。
第二会場たるコミュニティーアリーナの方は付き添いの人がメインで入っているということで、新聞の六面での掲載写真から、ほとんどが女性であることが確認できます。
その写真の下には、
「第二会場も約一万人が入場、さらにロビーまであふれた。」
と、書かれているものの、その肝心なロビーの写真がどこにも見当たりません。これは大問題だと思います。
本来ならば三万人程の人が収まっているはずの「広大なロビー」の写真を掲載しないはずがありません。
顕正会員は「ロビーにも沢山人がいた!」と言い逃れをしそうなところですが、残念ながら写真が存在しない以上、「ロビーに人がいた」という客観的な証明にはなりませんね。
もっとも「ローマは一日にして成らず」ですから、普段の班長会の結集成果すら伸び悩んでいるどころか、落ちてきているかもしれないのに、ぶっつけ本番で五万の人集めが成功する道理はありません。
それから浅井会長の誓願については、セロリさんが既に言及している様に「5年後の200万は現状維持で達成できる」わけで、「伸び率のキープ、守りの態勢」が今後の会の方針ということですね。
浅井会長自身は、また大きな誓願を打ち出して、他から批判を受けるのがいい加減煩わしくなったのかもしれませんが、正直こちらとしてもそのことについてこれ以上色々考えを巡らすのは非常に煩わしいことです
今後、この大会の大失敗を契機に、大勢の幹部会員が顕正会活動から離れてくれることを期待致します。










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