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「冨士」昭和40年11月号(P1~3)“なぜ教学が必要か”

なぜ教学が必要か1
なぜ教学が必要か2
なぜ教学が必要か

教学は熱烈なる求道心から始まるのだ

―――――――――――――――

「難しい事は必要ない、一念信解で良い」という今の考えとは180度違いますね。
近年は簡単な同じことばかりを繰り返し教え、難しい教義の指導はめっきりなくなりました。

時代が教学を必要としなくなったのでしょうか?いや、そうではなく「邪魔」になっただけでしょう。

現在を「広宣流布のギリギリの最終段階」というのであれば、今後更に激化する折伏戦に備え、教学部の一層の拡充を早急に図るべきではないのでしょうか?

【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について
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「冨士」昭和40年6月号(P8~9)“当時の浅井会長の正本堂に対する見解”

正本堂への御供養
富士昭和40年6月号 正本堂供養2

いよいよ意義重大なる正本堂が建立される事になります。
戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。
この宗門全体の意義重大なる慶事に、妙信講も宗門の一翼として講中の全力を挙げ、真心を込めて猊下に御供養をさせて頂くことになりました(拍手)
(中略)
この大御本尊様は、大聖人様より日興上人へ御付属せられて以来広布の時を待って、歴代御法主上人によって厳護せられて来たのであります。
(中略)
その御本尊様がいよいよ時を得て徐々に大衆の中に御出ましになる。
(中略)
いよいよ大衆の中に人類の中にその御姿を徐々におあらわしになる。

―――――――――――――――――

この時、浅井会長は初めて正本堂の意義について公式に見解を示しました。

正本堂の御供養に参加したことは、多くの顕正会員さんがご存知かと思います。
しかし、その当時の浅井会長の正本堂に対する公式見解、発言を事実のままに知る人は少ないでしょう。

発言であるように、大衆の中に「お出まし」ということは、「広宣流布達成」と同意義の発言ということになりますから、当時浅井会長は正本堂を指して「御遺命の戒壇」と言っていたに等しいのです。

今の顕正会の見方に沿って考えれば、当時浅井会長も「御遺命破壊に賛同」していたということになってしまいますね。

アクセス数の増加と勧誘被害のコメント

本年の最終法戦の締め切りに伴って、ここ2日間程一気にアクセスが増えました。

きっと検索エンジンからの流入の増加が主な要因だと思います。

ネット端末が広く普及され、環境も安価で整うようになった現在。
顕正会に折伏(勧誘)された方々が、顕正会についてネット検索する割合というのも当然、増加の傾向にあるはずです。

その様な中、顕正会から勧誘を受けた「Eさん」という方から2通コメントを頂きました。

そのコメントからは、顕正会で行われている勧誘活動の内容が、如何にお粗末なものであるかが窺い知れます。

コメントの本文はブログのコメント欄から閲覧可能ですが、一部抜粋してみたいと思います。
以下。

『「冨士大石寺やってるの。朝晩唱えればいいこと必ずある。私も最初は主婦友達に誘われ信じられなかったけど、ある日唱えたら風邪が引かなくなりいいことだらけ」って言われある家にいかれてた 。』

顕正会員が勧誘の際に「Eさん」に対して言ったことだと思われます。
そうなんです。多くの顕正会員は「冨士大石寺」と自称して勧誘をします。これは「詐欺」です。

良い事だらけなんてことがあるわけないでしょう。
あるわけないのに『一名』のためなら平気でウソもつけてしまう人達なのです。
顕正会員はどのようなカタチであれ入信に結び付けば‥と、結果論のみで考える特徴があるので、話を誇張しようが、作ろうが、それは「御本尊様の讃嘆」に変わりはなく、「功徳になる」と盲信しているのです。

違うでしょう。大聖人様は、

『苦をば苦とさとり楽をば楽とひらき苦楽ともに思い合せて南無妙法蓮華経とうちとなへゐさせ給へ、これあに自受法楽にあらずや』(四条金吾殿御返事)

と仰せなんですから。

そして、
『いいことがあるから返して。悪用しないし私が持ってるから大丈夫。 』

これは「Eさん」が入信勤行に際し、個人情報などを記入して顕正会員に提出した「入信報告書」を、入信勤行終了後に「Eさん」が顕正会員から取り上げた時の、顕正会員から「Eさん」に対する発言かと思われます。

いやいや!場合によっては悪用するでしょう!
紹介者が顕正会を辞めた場合、この入信報告書に記載された情報は顕正会内の第三者の手に渡り、その第三者からいきなり電話がきたり、自宅まで訪ねてくることだってあるわけですから。しかも迷惑だからもうこないで、という事は通用しない。

更に、
『とか延々にいいことあった話を聞かされました』

『「なんでしつこいの?」って聞いたら、「だってこんなにいいことだらけだからみんなにいいたくなり自慢したくなる」とかわけわからんことをいって延々と作り話?らしきことを聞かされました』

もういい加減、リア充アピールだったらFacebookでやってくれって言いたくなりますね。
[ 2014/11/25 21:42 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(4)

「冨士」昭和39年2月号(P33)“四悉旦(ししつだん)”

冨士昭和39年2月号33ページ

次に四悉旦を云えば、為人・世間・退治・第一義です。
悉旦とは、あまねく施すという事、仏が法を大衆にあまねく施すに当っての四つの御配慮とでもいえるのでしょうか、まず為人です。弟子といっても個人個人によって性質・信心・教学の力が異なる。それに応じて指導遊ばすのが為人悉旦です。
世間悉旦は時の社会情勢、世間の常識、楽欲に応同して法をお説き遊ばす。
退治悉旦は相手の固執する邪義を打ち破る事を前提としての論法です。
同じ法門を語るにしても、講義と法論とでは全然違うでしょう。
法論には法論の方法、こちらの肚構えがありますよ。まず破折して正法に屈服させようと、これを弁えなければお人好しです。邪義は粉砕できません。早勝問答を拝見して御覧なさい。
さて最後に第一義悉旦、これは相手の機根の如何にかかわらず真実第一義を真正面から説いていくのです。
この四悉旦を以て大聖人様は我々を強く御化導遊ばしていらっしゃるのです。
四条さんには四条さんの、富木さんには富木さんの性格、楽欲が違う、四条さんの純信、富木さんの博学といっても尚、大聖人様は機根に随って順々に文底の仏法に御導きなのであります。
だから此の章のあとで出て来ますが、四条さんと富木さんが釈迦の立像を立てた事に対してお褒めあそばした御書があっても次第誘引の善巧方便であります。
当時の社会をみてごらんなさい。まわりは全部弥陀念仏の徒ばかりで、その中に大聖人仰せの一分を信解してたまたま釈尊を立てているのです。
お褒め遊ばすのは当然です。その上に次第に深きに至らしめて三大秘法に至るのです。
大聖人様のお慈悲は計りしれないのです。
此の様に、御書は広い立場から拝読せねば真意を誤るのであります。

――――――――――――――――――

先日の顕正会での御大会式の席上、浅井会長は講義の中で、「為人悉旦」ということを口にしたようですが、現在顕正会で手に入る書籍の中で、この御法門について触れているものはなかったと思います。
たしか御大会式の講義が掲載されるのは、11月25日号だったでしょうか?そろそろ「出来」する頃でしょうか。
冨士の中で、四悉旦について解説されている箇所があったので、取り上げてみました。あくまでご参考程度にどうぞ。

浅井会長は、国立戒壇の名称を放棄したから宗門は間違いと主張しますが、現代社会における「国立」の意味と、上掲の「世間悉旦」の御法門と合わせて考えてみると、自ずと見えてくることがあるかと思います。

「社会情勢」や「世間の常識」とは、時代によって変化することですから、それに伴って、名称の持つ意味合いも時代によって変化せざるを得ないということですね。

また、顕正会員で四条殿や富木殿が「釈迦の立像を立てた」という事実を知る人は少ないことでしょう。
「御在世の信行に立ち返った」、だなんて良く言えたものだなぁと思います。

【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

「冨士」昭和39年1月号(P5)“昭和48年までに10万世帯”

冨士昭和39年1月号5ページ

向う十年間、昭和四十八年までに十万世帯の折伏を成し遂げたいと決意するものであります。(大拍手)

――――――――――――――――――

この時、浅井講頭先生より、このような誓願が打ち出されたわけですが、これは達成されたのでしょうか?
下はそれから約10年後の昭和47年11月号「冨士」

冨士昭和47年11月号4ページ

十万世帯、昭和五十六年までに達成せん。

――――――――――――――――――

あぁ、やっぱり。出来なかったんですね。
それと「誓願の引き伸ばし」は既にこの頃から顕正会の専売特許だったんですね。
因みにこの昭和47年11月の時点での会員総数は「一万世帯」。
志を高くもつのは良いけれど、達成率が十分の一というのはいかがなものかと思います。

【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

顕正会の「折伏」について思うこと

折伏というのは「布教」するための方法の一つであって、別に「摂受」という方法も存在しますね。

顕正会折伏理論書からそのことについて書かれている箇所を引用します。

「仏法を弘める方法に摂受(しょうじゅ)と折伏という二大潮流がある。摂受とは摂引容受(しょういんようじゅ)といって、たとえ相手が低劣なる法を信じていても、これを容認しながら次第に正しい教えに誘引していくという柔かい弘教法である。いっぽう折伏とは、破折屈服の義で、相手の間違った思想・信仰を破折し、唯一の正法に帰依せしめるという剛い弘教法である。」(P76)

私はこの説明について特に異論があるというわけではありません。

問題にしたいのは、顕正会員が実際に行っている弘教法は、上掲の「折伏」の説明とは随分違った印象を受けるということです。

顕正会では折伏のことを「功徳の讃嘆行」と言いますが、とにかくご利益の凄さを語りまくることで対象者の入会を促すことを骨子とします。

「御本尊の功徳(ご利益)の凄さ」や、「日蓮大聖人の尊い御振舞(竜の口等)」については「ご利益」を語る上での裏付けとして後から説明されるパターンが多く、場合によっては省かれてしまうのではないでしょうか。

もし対象者が何か他の信仰をしていたとしても、まずは「入信勤行」が優先されるので、そんなことはお構いなしといった具合に会館や自宅拠点へとにかく引っ張っていくことを第一に考えます。

結局彼らは、対象者が「入信勤行」、いや、「入信報告書に個人情報を記入」してくれさえすればそれで良いのです。

ご利益話や、仏法の話は「釣り」であり、「一名」に繋げるための手段くらいにしか考えていない会員さんも少なくないのではないかといった印象です。

そして無事に入会させることのできた新規会員には、まず仏法の話に歓喜を起させた後に、「試練と忍従の歴史や、誑惑 ( おうわく ) の正本堂崩壊す、御遺命守護の戦い」等を通して、「浅井先生絶対」という信条の植え付けが徐々に繰り返し行われていきます。

そのように教育された会員は、最終的に「御本尊」よりも「浅井先生」を信じる、といった「浅井先生信仰」へと変化をとげていくのです。

この「浅井先生信仰」の解り易い例として、幹部会員の発言を具体的にあげれば、

「浅井先生が用意して下さった御本尊だから疑うことはしない」
「私は日蓮大聖人の仏法ではなく浅井教を信じていきます」
「浅井先生の御発言に諸天が感応する」

これらは私が直接幹部会員の口から聞いた言葉です。

「もし浅井先生が間違っていたとしても、浅井先生についていく」

又聞きですが、これも幹部会員が吐いた言葉。

これらの発言を、彼らの入会の時点に遡って考えてみると、明らかに「帰依の対象」が異なっている、すり替えられてしまっているということが言えます。

浅井先生は絶対に間違わない。客観的に見て浅井先生の言動が明らかにおかしかったとしても、会の中では常に正当化されてしまう。「神格化」とはこのことでしょう。

これこそ顕正会が真の目的とするところであり、誘引したい最終地点なのです。

つまり顕正会の教義信条における「正しい教え」とは即「浅井先生の御指導」であり、御書だろうが、先師上人の御指南であろうが、「浅井先生が取り上げないもの」に関しては、短絡的に「正しい教え」ではないと判断しているのです。

まるで「浅井先生絶対」に到達するまでの一連の流れ、プロセスは「方便」であるかの如くですね。

以上。勧誘の時点から、「顕正会での真実」へ誘引するまでの流れを、先程の二種の弘教法に照らして考えてみると‥。

「折伏」というよりも、少々強引ですがどちらかといえば「摂受」といった方がしっくりくるような気がします。

もっとも「柔かい」かどうかは分かりませんが‥。

また、これも経験談ですが、私がまだ顕正会員であった頃、同じ職場のブラジル人の方が他の顕正会員の方の折伏(勧誘)によって入会させられたという出来事がありました。

なぜそれが分かったのかというと、そのブラジル人の方は自分の作業台の上に顕正会の勤行要典を置いていたからです。
私が同じ顕正会員であることを伝えるとそのブラジル人の方は、「私キリスト教信じてる。どうしたらいい?」と聞いてきたのです。
そんな基本的なことも教えないまま入会させたのかと、紹介者を大変不審に感じました。

紹介者の役職は班長であり、その場には副長もついていたとの事でした。

全ての会員がというわけではないでしょうが、顕正会では弘教法を「折伏」と称しつつ、たとえ相手が低劣なる法を信じていても、ひとまずこれを容認するということが行われていることは事実です。

「正しい道理」で相手の間違った思想や信仰を破折する。そういった弘教法を「折伏」というわけですが、だいたい非社会的な思想かつ、伝統的教義信条から逸脱した新興宗教団体の人が「正しい道理」を説けるはずがありませんね。

顕正会で行っている布教の方法が、「折伏」であるとは到底言い難いのではないかと思います。

法戦って

顕正会の言う「ホーセン(法戦)」って、なんだか「フーセン(風船)」の様ですね。

数字が増えるから、膨らんでいるように見えるけど、中はただの「空気」。
実際は中身の無いただの「空気」です。

終わってはじけてしまえば何も残らない。
大きくなったように見えて、本当は空っぽだったのです。

膨らましている方は大変です。
酸欠になって頭がクラクラ。
思考停止です。

膨らますのに精一杯で、生活や周りのことに目を配る余裕などありません。

指示している人はというと、大きくなった風船を見て悦に入っているだけ。

9・10・11月フーセンも残りわずかといったところですね。

精々また過去最高のフーセンでも膨らませて、先生を喜ばせて下さい。

顕正会での指導内容 4

私が現役顕正会員であった頃、上長からは一体どの様な指導を受けていたのか、具体的に思いだしてみたいと思います。随分間が空きましたが、その4です。

【とにかく言い切っていくことが大事】

折伏(勧誘)の際に重要なことは、「言い切ること」だと教えます。
何を言い切るのかといえば、「功徳と罰」です。

顕正会に入会すれば、絶対良いことがある、幸せになる。これを功徳。
顕正会に入会しなければ、必ず不幸なことが起こる、生活が行き詰まる。これを罰。

このことを、とにかく「言い切る」こと。それが折伏(勧誘)であると指導します。

私は、「言い切る」ことと「確信を込めて相手に伝える」ということは全然違うと思います。

「言い切る」というのはある意味非常に「自分勝手」な行為です。
相手のことを考えず、自分の伝えたいことだけ一方的に主張して、入信しないとなれば、「罰がでる」と捨てセリフを吐き、はい、さようならです。

またこのようなことは外に対してだけでなく内部の後輩指導に対しても行われていることです。
後輩の事情や心情を斟酌し、耳を傾けることなく、ただ賞罰を言い切って活動を促すというだけ。

こういった模範となるべきリーダー格の幹部会員達の、人間味のなく、冷酷で、思いやりのない姿は、後輩達からは利己的、自己中心的であるかの様に映るのではないでしょうか?

「言い切る」というのは「自己満足」の世界です。

なぜ顕正会員とは全く会話が成立しないのかといえば、この「言い切りなさい」という指導の中に「相手の話を聞く必要はない」という意味も含まれていて、それを実践しようと心掛けているからに違いありません。

中には「耳栓をつけて話をしているのではないか」というような、重篤な方まで見受けられます。

そのような方を見ると、ニセ本尊とマインドコントロールのダブルパンチが如何に恐ろしいものかが窺えます。

H26/11/3 支部登山

週間予報ではずっと雨だったのですが、登山の前々日あたりから突如晴れの予報に好転

最近は、お山となれば雨天が続いていたので、今回は久々に富士山の尊容を拝せました。

KIMG0048.jpg
KIMG0056.jpg

上の写真は、売店横の駐車場から。
下の写真は、奉安堂前の広場から。

写真では解り辛いですが、生では富士山の山肌の凹凸までくっきりと確認できるほどで、結構表面はデコボコしているんだなぁ~と思いました。
また、雲の感じが絵に描いたような素晴らしさで、登って上からあの雲海を眺めてみたいなぁ~と思いました。

山だから寒いかもと思い、厚着していきましたが、日中は半袖一枚で歩けるくらい気温が上がりました。

私にとって、入信してより5度目のお山でした
[ 2014/11/07 21:25 ] |トップページへ戻る日記 | TB(0) | コメント(0)

顕正会の本尊は何故「ニセ」なのか?(妙縁寺所蔵のウソ)

それでは、「何故日寛上人の御形木御本尊がずっと妙縁寺に所蔵されていたのか?」
という疑問点。これはどういうことかというと、日蓮正宗において日達上人御書写の御形木御本尊が下付されるようになった昭和41年の時点で、各寺院に残っていた日寛上人の御本尊は総本山に納められている事実があるためです。

何故、九年後まで、しかも妙縁寺に限って数百幅も残っていたのか?これは大いに疑問です。

このことについて浅井会長は「松本尊能師はその日寛上人の御本尊を大量に蔵しておられ」(平成5年6月15日)と述べられたきりで、それ以外の明確な理由については、浅井会長の口から一切説明されていません。、

これでは「寺院所蔵の御本尊」ということに全く信憑性がありません。

すると必然的に発生するのが、次の5番目の疑問点です。

「妙信講の解散処分が下った当時、そもそも妙縁寺に日寛上人の御形木御本尊などなかったのではないか?」

このことついては、まず昭和60年と平成11年における浅井会長の発言内容の相違から窺えます。

前記事で掲載させて頂いたように、浅井会長は昭和60年の時点では、

「松本尊能師に将来の広布推進のため、御本尊を大量に御下げ渡し下さるよう願い出た
と、言っていますが、後の平成11年4月12日の発言では、
「ここに、松本尊能化は、妙縁寺に所蔵するところの歴代上人の御直筆御本尊七幅、それから日寛上人の御形木御本尊、並びに日布上人の御形木御本尊を多数用意して、私に託して下さったのであります。」
と、あります。
つまり当初の「寺院所蔵」と、後の発言では明らかにニュアンスが変化しているのです。

御下げ渡し下さるよう願い出た」→「多数用意して

用意するということは、それまでなかったものを新たに用意してもらうという意味です。わざわざ総本山に依頼したということになります。
そういった筋で考えると、昭和60年の「寺院所蔵の御本尊」という浅井会長の発言は「ウソだった」と言わざるを得ません。

なぜわざわざ「ウソ」をつく必要があったのでしょうか?
論に詰まった顕正会員は毎度の如く、「先生に何か深いお考えがあってのことだ」というに違いありません。
しかし、浅井会長の口からその「ウソ」について、一切弁明がないのは事実ですし、どう考えてもウソをつかなければならなかった理由なんてものは見当たりません。

単に、無知による「失言」なんですね。

その犯した失言をフォローするため、徐々に発言が変化していくのです。

そして更に、松本元住職の当時の状況を鑑みれば妙縁寺に所蔵されていた御本尊ではないことは明白です。

浅井会長が松本元住職に「願い出た」という時期、妙縁寺は総本山から派遣された住職代務者の指揮管理下に入れられていました。
浅井会長らに肩入れしていた松本元住職は妙縁寺内の一室に籠城(ろうじょう)していることで精一杯の状況で、とても新たに御形木御本尊数百幅を「用意」することなどできなかったはずなのです。

要するに、当時の松本日仁住職に御本尊を数百幅用意できるような「信用」も「余裕」も「権限」もなかったというのが事実なのです。

まして、「妙信講に渡す」という理由で総本山から御本尊を頂けるはずがありませんね。

以上、ニセ本尊について、大日蓮出版のリーフレットや慧妙等を元に個人的な所感を交えてお話させて頂きました。
過去にも「ニセ本尊」について、いくつも記事を書いていますが、今回改めて取り上げて記事にしようと思った理由は、ニセ本尊の害毒と本物の御本尊の功徳を、理屈ではなく「実体験」として徐々に確証を得ているからなんです。

一年前、ニセ本尊を拝んでいた自分と今の自分…。まだまだ本当に自身の至らない点や課題・改善点は山積していますが、変わったのは「それらを受け止めて、素直に改善していこうと思う、建設的で謙虚な心」を持てるようになってきたことです。

環境は見る見るうちに変わり、遂にこの度、新しい大きな仕事を任せて頂ける運びとなりました。

ここ一年の変化については後日、じっくり書かせて頂こうと思います。









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