スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] |トップページへ戻るスポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

「ニセ本尊」と言われても俄(にわか)かには信じ難いという顕正会員さんへ

自身の信仰の対象物を否定されることが、大変受け入れ難い事実であるということは、私も経験の上から良くわかります。
それを認めるということは同時に、今までの自身の信仰上の活動の一切が水泡に帰するということになるのであれば、認めたくないというのは大変切実な心情であるということも良く理解できます。勿論、個々人の顕正会への信仰心の強弱にもよると思いますが、ある程度の時間も必要だと思います。

前に法華講員から何度も折伏を受けている顕正会員の副長さんとお話させて頂いた際、その副長さんは「ニセ本尊といわれても何とも思わない」と言っていました。
きっと真意は「何とも思わない」のではなくて「何とも思いたくない」「考えたくない」のでしょう。
ちゃんと仕事もしているし、所帯ももっている、話せばわかる頭の人です。

偽物の理屈は理解できても、顕正会活動をする中で身の上に起きた不可思議な御利益のような現象や、ニセ本尊への恍惚感(こうこつかん)が拭えずにいるといったような心の状態を「執着」といいます。

「偽りの親しみ」です。

それでは頑迷な顕正会員さんが、ニセ本尊信仰から脱する為にはどうしたらいいか。
まずは「御形木御本尊」の意義についての再認識が、段階的な意味合いで重要になってくると思うのです。

浅井会長は御形木御本尊の本質について「試練と忍従の歴史」の中で次のように説明しています。

「御形木御本尊とは入信者に仮りに貸与(たいよ)される印刷された御本尊のことである。歴代御法主が直筆を以て書写し授与される御本尊は、常住御本尊を呼ばれる。」

御形木とは「貸与」であり常住とは「授与」であるという事です。

「貸与」とはどういう意味か、辞書で調べてみますと、
「金や物を貸し与えること。返すことを条件として金品の使用を許すこと。」(デジタル大辞泉)
とあります。
要するに、御形木御本尊とは「貸し与える」側が存在するのであり、必ず「返す」ことが条件となってくるわけですね。

現在顕正会館はある御本尊は一部会館の常住を除き、そのほとんどが「日布上人の大幅の御形木御本尊」と称するものであり、それは本質的には「貸与されている御形木」なのだという事を深く認識してもらいたいのです。

ニセか本物かという事を問題とする以前に、まずはこの部分の認識をしっかりもってもらいたいのです。

つまり貸している当事者は日蓮正宗であり、就中、当代の御法主上人猊下であられるという事です。

更に、もとよりこの御本尊の貸与に関しては、宗務院許可、および妙縁寺総代の了解を得た手続きを経ていないというのが事実なのです。

昭和48年、12月22日に奉修された「常盤台の本部落慶入仏式」において松本日仁能化は

「十万達成まで日開上人御筆の妙縁寺重宝の御本尊を本部会館安置の御本尊として確かに貸与する」

と言った記録が残っているようですが、「貸与」のそもそもの始まりからしても、松本日仁の勝手な暴走であったことを知らなければなりません。

そして、顕正会破門直後の昭和49年10月19日、日達上人は「宝浄寺創立10周年記念本堂改築落成式の砌」に次のように仰せです。
 
「また、妙信講は本部を造ってそこに、御本尊を安置しております。それは、妙縁寺というお寺、本所中之郷の妙縁寺の御本尊を宝物の御本尊を住職がうっかりしてしまって、以前に、「十万所帯の人を折伏するから、御本尊を借して下さい」と云うから、まだ、日蓮正宗の一団体であったから、住職が貸したのです。ところが、今度そういう風にして、宗門から破門されたから、今度は返してくれと住職が云ったら、いや一万所帯作ったら返しますからと云う。じゃあ謗法の信者を十万所帯作られたら、もっと大変な事になってしまう。早く返してもらってくれと云うのだけれども、仲々らちがあかないで、困ってしまう。」

貸している側の御方がこのように仰っているのです。

顕正会、浅井会長は強奪してしまったのです。
ですから、「御形木」の「貸与」という意義もその時点で失せるのであり、それではただの「コピー曼荼羅」となってしまうのです。

大聖人様は顕正会員の良く知る『佐渡御書』の中で
「我この度の御勘気は世間の咎(とが)一分もなし。」
と仰せです。
大聖人様は現行している世間法と照らし合わせても、一切の過失なく、法をお弘めになられたのです。

大聖人様の御命令を信心の耳で聞き奉っている浅井先生が、なぜ世間法を犯すのでしょうか?

ここで、古い幹部会員さんは昭和52年4月にでた裁判の結果を持ち出すのでしょう。

「顕正会 御遺命守護の戦い」に曰く

「始めは、松本御能師にこの御本尊を取り上げさせようと強要しました。だが松本御能師の「妙信講は正しい、そんなことは私には出来ない」との拒否にあうや、大作は直ちに宗門に命じて松本御能師を妙縁寺住職より罷免し、さらに擯斥処分に付した。そしていよいよこの御本尊を、法的手段に訴え、力づくでも奪わんと、昭和四十九年十一月十三日、非道の裁判をしかけてきたのであります。
(中略)
 その条件とは、次の三つであります。
 一つは、“もう妙信講本部会館の御本尊を奪うなどということは絶対にしない。今後永遠に、この問題で訴訟を起すことはいたしません”と云ってまいりました。
(中略)
以上の条件を示して、裁判をすべて取り下げてくれというのです。皆さん、どうでしょうか。これはまさに事実上の全面勝利であると私は思うのですが、いかがでしょうか(大拍手)。」

しかし、この講演の中で最も重要な「松本さんから受け取った顕正会が保有している御本尊は妙縁寺に返すこと。」といった旨の裁判の結果について浅井会長は一切触れていないのです。

つまり、「御本尊を返却することは裁判で決定したのですから、以後はまたその事で訴訟を起こすことはしません。日蓮正宗側は黙って待っております。」ということであり、本質は返さなくても良いということではないのです。

要するに「法を犯し、奪った本尊」であるという事ですから、「御形木」と称すること自体が本義からして不適当なのであり、顕正会員さんはそういった角度からも、顕正会の本尊という事にについてもう一度良く考え直してほしいと思います。

大変勉強になりました

お形木様は貸与。常住様は授与。

その違いについて知りませんでした。

最近、私の所属する末寺様に顕正会員が押し掛けてきているそうです。話す機会があれば元顕正会員のつとめとして折伏させていただきたいと思っています。

このお話は大変参考になりました。ありがとうございました。
[ 2014/06/22 18:22 ] [ 編集 ]

ポリ銀さんへ

コメント有難うございます☆
先日、お寺での勉強会の折、御住職様とそこら辺のお話をさせて頂きました。
御形木様とはその信徒さんの信心を試すための一時的な仮本尊であるということでした。
ポリ銀さんのブログも良く閲覧させてもらっています☆この間の「色メガネ」のお話は非常に参考になりました(#^^#)
顕正会員さんを折伏されるのですね!ガツンと砕いてきて下さい!!応援してます☆
[ 2014/06/22 20:20 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://yorori1130.blog.fc2.com/tb.php/104-f0076c8e











上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。