スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ] |トップページへ戻るスポンサー広告 | TB(-) | CM(-)

浅井会長「当たらぬ予言」 外れた責任の転嫁術


20140615041742.jpg

上の写真は6月5日号の顕正新聞に掲載された活動報告ですが、この登壇の一部分から浅井会長の当らぬ予言が会員さん達の中で正当化されてしまう「からくり」を窺い知ることができると思います。

つまり具体的に、

――――――――――――――――――――

さらに「顕正会の浅井会長は『地震だ』『疫病だ』『戦争だ』と不安を煽っている」等と、許し難い批判をしてきたので、私が、「浅井先生は大聖人様の立正安国論の仰せを根本に指導しておられる、では尋ねるが、大聖人様の立正安国論の仰せも社
会の不安を煽っているとでもいうのか」

----------------------------------------

と、この部分です。
登壇内容の主旨は、顕正会員と創価学会員との問答ですが、この登壇者の発言が顕正会の精神を如実に表していると思います。

そして以下の写真は、「日蓮大聖人に背く日本は必ず滅ぶ」と冠した「諫暁書」の冒頭です。

20140615041835.jpg

「これは凡夫の私が言うのではない」

つまり、浅井会長は「自身の個人的な私見でモノを言っているのではない」ということを言いたいのでしょう。

また浅井会長は、
『「もし大聖人ここにましませば、何を命じ給うか」と。この御命令を信心の耳で聞き奉り、御奉公を貫いて来た。これが顕正会の行動原理です。』 (顕正新聞H25年8月15日号)

と、こちらの発言も、まるで会長自身はただの中間媒体であり、大聖人様の代弁者であるかの如くです。

会員の目線から、浅井会長の仏法上の立ち位置がこの様な形で確立したならば、予言の当る、当らぬは会員にとって、もはやどうでも良いことになってしまいます。
間違いがあってもその責任は全て大聖人様に責任転嫁される、この様なシステムによって浅井会長は何を言っても許されるのです。
「私が言ったのではない、大聖人様が仰せなのだ」と、こういった責任逃れをするための会長の策謀が会員の信仰の理念の中に巧みに練り込まされてしまっているのでしょう。

凡夫は間違える事があっても、仏様が間違うはずがなく、過去と現在の発言に相違があったとしても、それは「方便」であったということで済まされてしまいます。

予言が当たらない事を会員に指摘すると揚げ足取りをされているようにしか感じないのは「能」「所」の筋目を弁えない大増上慢の浅井会長から長く洗脳され続けた結果、曲がりに曲がった信条が根付いてしまったゆえであると思います。

顕正会に対して疑問が

なんか最近顕正会。可笑しいのです。振り返ってみると13年間いて何もいいことなかったなぁ。ブログだと、誤解を招いてしまうので。Eメール下さい。モルモット
[ 2014/07/11 04:23 ] [ 編集 ]

コメントの投稿













管理者にだけ表示を許可する

トラックバック

この記事のトラックバックURL
http://yorori1130.blog.fc2.com/tb.php/107-0f3e5c9a











上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。