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異体同心について

先日の広布推進会にて無事に登壇発表を終えることができました。
今回の推進会では、ある御尊師の御説法が私にとって強烈に印象に残りました。

その御説法の内容とは、

「異体同心は実践の中のみにあるのであって決して掛け声ではない」
ということでした。

御命題を成就するためには何よりも「異体同心」が肝心・要であるということは言わずと知れたことですが、私の浅い経験の中で実感していることは、まず信徒同士で信心について語り合うだけで果たして異体同心できたのかといえば、基本的にはできなかったと思います。
では、相手は実は表面上立ち回っているだけで、心底に折伏の精神がなかったからかな?または逆パターンで自分自身が臆病風に吹かれているのかななんて思ったりもしますが、実際にはそのことが原因ではない場合も多々ありました。

しかし、一度「異体同心」で強くリンクし合った者同士は、その後、強い絆で繋がり続け、その絆は一度切れたように見えたとしても、そう簡単には切れません。

顕正会は邪教です。だから折伏・結果成果の誤魔化しや人間関係のもつれなど多くの問題が発生しているのは紛れもない現証だと思いますが、それは同体異心の報いという事でもあるのであって、会員の心がバラバラな証拠だと思います。

しかし組織の細部に目を向ければ、例えば支隊・班などで心を一つにして、折伏(勧誘)誓願に向かって団結している組織もあるのは事実です。

私は顕正会時代には先輩Oさんと何十件も供に折伏(勧誘)に当たりました。
しばしば数百キロ離れた遠方にも出かけました。
今となっては本当に良い思い出であると同時に、良い経験とも捉えております。
あの時経験した「異体同心」は本当に気持ちの良いものでした。

または、私がもし信心をしていなかったら、正直絶対に関わりたくないような人も組織の中にいました。
ある日支隊長の計らいでもって、私の折伏の応援にその人がくる事になりました。
合流して対象者を待つ間は、「大丈夫かよ、この人‥」と不安だらけでしたが、いざ折伏となると一生懸命仏法を語る姿に尊敬の念が湧きました。
終わってみると彼に対する変なイメージは払拭されて、戦う同志の絆が残っておりました。

信心の語り合いも時には大事だと思います。しかし具体的な日時を決めたり、詳細な打ち合わせがない限り、多くの場合は結局、不毛に終わってしまうのだと思います。
「あぁ今日はいい語り合いができた」と思って帰っても、そんなのは何かマイナスな外的要因によってすぐしぼんでしまいます。
やっぱり掛け声や決意を述べるだけではダメです。

そう考えると「異体同心」は「結果」ではないかと思います。

御命題成就のための異体同心というと、まずは異体同心が先決というような念にとらわれてしまうような気がしますが、そう思って色々努力してみてもきっとなかなか上手くいきません。

だから猊下様の仰るように、折伏ができない人を先輩が一緒に折伏に連れていく、というのは育成の手段としてとても合理的だと思います。

折伏という実践をして得られた結果が「異体同心」であって、「異体同心」してから折伏に出かけるのではないのだなぁ、と思いました。

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