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顕正会での指導内容 3

私が現役顕正会員であった頃、上長からは一体どの様な指導を受けていたのか、具体的に思いだしてみたいと思います。その3です。

【何があっても大丈夫】

本当は他人を勇気づける良い言葉なのでしょう。仏法実践の上から起きてきた難であれば、どのような状況下に陥ったとしても、結果として必ず守られるというのは、確かに仏法の道理ではあると思いますが、残念ながら実践のみがあって結果が伴わないのが顕正会なのです。(厳密には良い結果のように見える事が起きる場合もあるが、いつも一過性の出来事で終わり、将来的な繋がりが無い)
それどころか、この浅井先生の指導を受けた顕正会員達は、言葉の意味合いを顕正会特有の過激なニュアンスに取り違え、上長は後輩に対し、この言葉を都合よく乱用するケースが多々あります。

過激なニュアンスとは、

「どうなっても大丈夫」
「何をしても大丈夫」

といったような類のものです。

「何があっても」の「何」というのが抽象的で解り辛く、その範囲を大聖人様の教えに照らし合わせてキチンと指導をしていない顕正会内では、成果至上のシステムに合わせて、都合よく曲げられた解釈が蔓延り、結果、人道的に外れた振舞いや、社会のルールから逸脱した目に余る様な言動が、会の通例となっているのは事実です。

御本尊様の後ろ盾があるから、どんな事をしても許される。生活費がなくても、住むところがなくても、顕正会の活動だけに没頭していけば、最終的には守られる。

そんな考え方を改めようとする努力が見られない様な人は、まず仏法弘通の実践者としてのスタートラインにも立てていない状態だと思いますし、そういうのを「過信」というそうです。

例えば、強引に職場で勧誘を推し進めていった結果、強制退職させられたりというのは顕正会の中では良くある話ですが、それを当の本人がどの様に受け止めるかというのは大変重要でしょう。もし勤務時間中にも関わらず勧誘に夢中になっていたとか、相手が嫌がっているのに無理に話を続けたなど、明らかに本人の側に過失があった場合。その事について反省もせず、本人が勝手に「大丈夫」だとか「有難い」なんて思ってたとしても、世間から見たらそんな人は全然大丈夫じゃないです。

「あと数年で広宣流布するから、ある程度何をしても大丈夫。今がどんな状態だったとしても、広宣流布したら全てひっくり返るから現在どんな状況だったとしても大丈夫。」
良くある顕正会員の思想の典型と言うべきでしょう。根拠もなく安心している状態ほど危険な事はありませんね。

「大丈夫?」

と、世間から言われてしまうような人が顕正会の中には大勢(全体の割合からして非常に多い)いることは事実ですし、そういった様な人達が、日本国中に充満する時が「広宣流布」だなんてありえません。

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