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「冨士」昭和39年2月号(P33)“四悉旦(ししつだん)”

冨士昭和39年2月号33ページ

次に四悉旦を云えば、為人・世間・退治・第一義です。
悉旦とは、あまねく施すという事、仏が法を大衆にあまねく施すに当っての四つの御配慮とでもいえるのでしょうか、まず為人です。弟子といっても個人個人によって性質・信心・教学の力が異なる。それに応じて指導遊ばすのが為人悉旦です。
世間悉旦は時の社会情勢、世間の常識、楽欲に応同して法をお説き遊ばす。
退治悉旦は相手の固執する邪義を打ち破る事を前提としての論法です。
同じ法門を語るにしても、講義と法論とでは全然違うでしょう。
法論には法論の方法、こちらの肚構えがありますよ。まず破折して正法に屈服させようと、これを弁えなければお人好しです。邪義は粉砕できません。早勝問答を拝見して御覧なさい。
さて最後に第一義悉旦、これは相手の機根の如何にかかわらず真実第一義を真正面から説いていくのです。
この四悉旦を以て大聖人様は我々を強く御化導遊ばしていらっしゃるのです。
四条さんには四条さんの、富木さんには富木さんの性格、楽欲が違う、四条さんの純信、富木さんの博学といっても尚、大聖人様は機根に随って順々に文底の仏法に御導きなのであります。
だから此の章のあとで出て来ますが、四条さんと富木さんが釈迦の立像を立てた事に対してお褒めあそばした御書があっても次第誘引の善巧方便であります。
当時の社会をみてごらんなさい。まわりは全部弥陀念仏の徒ばかりで、その中に大聖人仰せの一分を信解してたまたま釈尊を立てているのです。
お褒め遊ばすのは当然です。その上に次第に深きに至らしめて三大秘法に至るのです。
大聖人様のお慈悲は計りしれないのです。
此の様に、御書は広い立場から拝読せねば真意を誤るのであります。

――――――――――――――――――

先日の顕正会での御大会式の席上、浅井会長は講義の中で、「為人悉旦」ということを口にしたようですが、現在顕正会で手に入る書籍の中で、この御法門について触れているものはなかったと思います。
たしか御大会式の講義が掲載されるのは、11月25日号だったでしょうか?そろそろ「出来」する頃でしょうか。
冨士の中で、四悉旦について解説されている箇所があったので、取り上げてみました。あくまでご参考程度にどうぞ。

浅井会長は、国立戒壇の名称を放棄したから宗門は間違いと主張しますが、現代社会における「国立」の意味と、上掲の「世間悉旦」の御法門と合わせて考えてみると、自ずと見えてくることがあるかと思います。

「社会情勢」や「世間の常識」とは、時代によって変化することですから、それに伴って、名称の持つ意味合いも時代によって変化せざるを得ないということですね。

また、顕正会員で四条殿や富木殿が「釈迦の立像を立てた」という事実を知る人は少ないことでしょう。
「御在世の信行に立ち返った」、だなんて良く言えたものだなぁと思います。

【冨士】って何?現在廃刊となっている顕正会(妙信講)教学誌【冨士】について

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