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「冨士」昭和40年6月号(P8~9)“当時の浅井会長の正本堂に対する見解”

正本堂への御供養
富士昭和40年6月号 正本堂供養2

いよいよ意義重大なる正本堂が建立される事になります。
戒旦の大御本尊様が奉安殿よりお出まし遊ばされるのであります。
この宗門全体の意義重大なる慶事に、妙信講も宗門の一翼として講中の全力を挙げ、真心を込めて猊下に御供養をさせて頂くことになりました(拍手)
(中略)
この大御本尊様は、大聖人様より日興上人へ御付属せられて以来広布の時を待って、歴代御法主上人によって厳護せられて来たのであります。
(中略)
その御本尊様がいよいよ時を得て徐々に大衆の中に御出ましになる。
(中略)
いよいよ大衆の中に人類の中にその御姿を徐々におあらわしになる。

―――――――――――――――――

この時、浅井会長は初めて正本堂の意義について公式に見解を示しました。

正本堂の御供養に参加したことは、多くの顕正会員さんがご存知かと思います。
しかし、その当時の浅井会長の正本堂に対する公式見解、発言を事実のままに知る人は少ないでしょう。

発言であるように、大衆の中に「お出まし」ということは、「広宣流布達成」と同意義の発言ということになりますから、当時浅井会長は正本堂を指して「御遺命の戒壇」と言っていたに等しいのです。

今の顕正会の見方に沿って考えれば、当時浅井会長も「御遺命破壊に賛同」していたということになってしまいますね。

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