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「冨士」昭和41年3月号(P1~4)“本門の戒壇について日布上人の御指南”

冨士昭和41年3月号 P1 にっぷ上人戒壇
冨士昭和41年3月号 P2 にっぷ上人戒壇
冨士昭和41年3月号 P3 にっぷ上人戒壇
冨士昭和41年3月号 P4 にっぷ上人戒壇

P2より~「即ち御本尊は体であって此の御本尊のおわします所を戒旦といい、此の御本尊の御名を南無妙法蓮華経と申す題目であるから自づと戒旦と題目の二は本尊の一に納まる。これに依って此の御本尊をば三箇総在の独一の本尊と名づけ奉るのであります」

――――――――――――

上掲は総本山大石寺55世“日布上人”の本門の戒壇についての御指南です。
これに対して、浅井会長(顕正会)では本門の戒壇についてどの様に解釈されているのでしょうか?以下、折伏理論書の該当箇所を引用します。

「本門の戒壇とは、三大秘法抄・一期弘法付嘱書に示されるように、広宣流布の暁に一国の総意・国家意思の表明を以て、この“戒壇の大御本尊”を安置し奉るべく建立される大霊場である。この本門戒壇の建立こそ仏国実現の秘術であり、大聖人が滅後の門下に託された唯一の御遺命である。」

これを顕正会では国立戒壇と称しているわけですね。

つまり「本門の戒壇」=「国立戒壇」。これが浅井会長流解釈。

『御本尊おわします(御安置されている)ところが本門の戒壇』。これが日布上人の御指南。

なぜこのように解釈のズレが生じてしまったのか。

これは、単純に浅井会長が三大秘法の法門に疎いということに他なりません。

ついでに更に堀り下げて、浅井会長流の本門の戒壇の「事と義」のたて分けについて拝見してみましょう。

以下。再度折伏理論書より該当箇所を引用します。

「戒壇の事と義とはどういう意味かといえば、事とは事相(事実の姿)、義とは義理(道理としてその意義がある)の意である。
すなわち、大聖人が三大秘法抄等に御遺命された本門戒壇は、広宣流布の時が至って始めて“事実の姿”として建立される。ゆえにこの御遺命の戒壇を事(事相)の戒壇というのである。
では、広宣流布以前において本門戒壇の意義がないのかといえばそうではない。たとえ広布の時至らず未だ事の戒壇の建立はなくとも、事の戒壇に安置奉るべき本門戒壇の大御本尊まします上は、その所は義として本門戒壇に当る。
ゆえに日寛上人は
『未だ時至らざる故に直ちに事の戒壇これ無しといえども、すでに本門戒壇の御本尊存する上は其の住処は戒壇なり』
と仰せられている。これが義の戒壇である。
また日興上人以下嫡々歴代書写の御本尊安置の道場も、遠くは枝葉として義の意味を持つ。
以上が冨士大石寺伝統の、本門戒壇の事と義についての定義である。」

…。
そうすると、現在の奉安堂は道理の上で国立戒壇だということでしょうか…。

ちなみに、三大秘法抄中の戒壇義における事とは、迹門・文上脱益の理の戒壇に対して区別されたもので、本門戒壇中の事と義の立てわけについて教示されたものではないですね。ここは非常にややこしい部分だと思うので、詳しくはこちらをご参考に。

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