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「冨士」昭和43年11月号(P5~6、P11~12)“本門戒壇について日淳上人の御指南(昭和31年御会式の砌)”

冨士昭和43年11月号P5 日淳上人 本門の戒壇
冨士 昭和43年 11月号 6ページ 日淳上人 本門の戒壇


冨士 昭和43年 11月号 11ページ 日淳上人 本門の戒壇
冨士 昭和43年 11月号 12ページ 日淳上人 本門の戒壇


【日淳上人御説法】(昭和31年御会式の砌・於東京)

大聖人様御一代の御施化導の括りは三大秘法にあるのでありまして所謂本門の御本尊、本門の御題目、本門の戒壇の三つであります。即ち南無妙法蓮華経の御本尊様とこの御本尊様に向って南無妙法蓮華経とお唱えすることが本門の題目、又御本尊様を御安置申上げ、お題目を唱える処が本門の戒壇であります。

◎三大秘法の開合の相
本門の本尊は法と人とになり、戒壇は事と義とになり、題目は信と行とになるのであります。
三大秘法は開合致しますと斯様になるのでありますが、此の三秘の関係はまことに重要なことでありまして、此れを誤ると大聖人の御法門は正しく拝することは出来ないのでございます。
(中略)
戒壇とは御本尊の在しますところを申し上げるのでございます。
而して大聖人の御化導は一人一人の衆生を御導きなさるのは勿論であらせられますが、究竟の所は一閻浮提一同の人々有知無知をきらわず南無妙法蓮華経と唱へせしめるにありますから、本門戒壇を建立して、その戒壇堂に安置し奉る御本尊が御一代究竟の御本尊であらせられるのでございます。
それ故御本尊に於いても此の戒壇ということを以って拝さなければ大聖人様の御一代の御化導を正しく拝し奉ることは出来ないのであります。

―――――――――――――――

前々回の記事にて日布上人の本門の戒壇についての御指南を掲載致しましたが、今回は顕正会にとって無二の恩師である日淳上人の御指南です。

念の為再度確認しておきます、以下は浅井会長の三大秘法、本門の戒壇についての解釈です(折伏理論書より)

「本門の戒壇とは、三大秘法抄・一期弘法付嘱書に示されるように、広宣流布の暁に一国の総意・国家意思の表明を以て、この“戒壇の大御本尊”を安置し奉るべく建立される大霊場である。この本門戒壇の建立こそ仏国実現の秘術であり、大聖人が滅後の門下に託された唯一の御遺命である。」

日淳上人の御指南を虚心坦懐に拝してみましょう。
まず広宣流布が究竟した暁に本門の戒壇の大御本尊を安置すべく建立される戒壇。つまり御遺命の戒壇を指して“本門の戒壇”と定義している点においては浅井会長の認識にほぼ齟齬はないと思われます。(とりあえず一旦ここでは国立とかいうのはスルーしておきます)
ただし未だ建立されていない戒壇のみをもって本門戒壇と定義づけてしまったら、必然的に本門戒壇は今現在は建立されていないことになります。
それでは三大秘法は現在“未完成”の状態だというのでしょうか。
将来顕正会の戦いによって三大秘法を完成させると…未完成のパズルに最後の1ピースをはめ込むように顕正会の手によって三大秘法の御化導コンプリートみたいなイメージでしょうか。
考えてもみて下さいよ。
そりゃぁ本門の戒壇の大御本尊は浅井会長が考案・作製したものであれば、その道理は頷けます。
けれども戒壇の大御本尊様を御図顕し御建立されたのは仏様です。三世了達、法界即我が身の大知恵といった“仏力”によって始めて成せる仏事なんですよ。
ということは本門の戒壇についても根源は一大秘法から開いた中の一義ですから、これも当然仏力が及んでいなければその義は立ち得ないんです。
本門の題目にしたって、本門戒壇の大御本尊を信じて唱えることをもって義が成り立っているわけですから、実践するのは我々だとしても、結局は仏様がお立てになられた化法・化法という大慈悲の恩恵に浴しているというだけのことですから、根源の仏力なくしては結局題目ということも成り立ちませんよね。

事の戒壇未だ無しだなんて…大体が事と義の二義で構成されている以上は、一方が欠けてしまえば当然そのもの自体が成り立たないということなってしまうと素朴に考えてみて下さい。
そもそも題目だって、信じる心のみあって、唱える口や合掌する手そのものが無ければ成り立ちませんよね。

つまり浅井会長は事の戒壇・本門の戒壇をこの手で成就させるといっているんです。作るということです。
天上天下唯我独尊と言っているに等しいんですよ。

ここんとこ、顕正会員さんはかなり疎いはずなんで、結構理解に苦しむと思います。
前々回の日布上人の御指南と併せて、とりあえず勤行そっちのけで100回くらい声に出して読んでみて下さい。「もうこれで完全に本門戒壇に対するバイアス払拭できました!」って自信がふつふつと湧いてきた人は、もう一度理論書の124P辺りを確認してみて下さい。

事の戒壇はこの世に既に存在しているんですよ。
もし我慢されているのなら、健康に良くないですから(笑)行ってみることを検討してみて下さいね。
なかなかいいとこですよ。
こんな風に↓
冨士とまき

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[ 2015/06/01 14:46 ] [ 編集 ]

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