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『無疑曰信』(むぎわっしん)と『不(ふ)疑曰信』

疑い無きを信と曰(い)う。
天台大師の『天台文句』に説かれた言葉だそうです。
疑っても、疑っても、疑い切れないから最終的に『信』が残る…。
私が御受戒を受けた際に御住職から頂いたお言葉です
「これから日蓮正宗で信心していくに当って、わからないことや疑問に思う事を絶対にそのままにしてはいけない。必ず聞いて下さい。」と仰って下さいました

実は、顕正会時代には“疑わざるを信と曰う”だと思っていました
御住職に、「それでは『不(ふ)疑曰信』になってしまいますよね」と言われてしまいました
正にその通りですよね
疑いは即「煩悩障」だ、信心がないから疑問が湧くのだ、上長に変な質問をすると信心がないと思われてしまう、更に言えば心に何か疑念を懐いただけでも罪障を積むと思い、そのうちに自身の疑う心に対してきちんと向き合えない人格が形成される。自分は信じていると勘違いし、そしてまたその勘違いを信じ込む…そして操り人形、働き蟻の出来上がり…

常より先生から「難しい事はわからなくても良い、信心口唱!」と暗示をかけられている上長達、日常的に『じっくり考える』という事をしない彼らは、この先生の言葉を金言の如く崇め、柱とし、自身の理解しようとする素直な命を謗法の如く嫌う…。まじめな会員さん達の純粋な信仰心は捻じ曲げられ、『答えを求めない事こそ信心』という結論に辿り着く…。気が付けば班長…

『行学は信心より起こるべく候』
良く考えたら『立正安国論』も問答形式なんですよね

もう自分の心にウソをつくのはやめましょう。
三大秘宝の修行は『難行・苦行』ではないのです。
顕正会員さんが正常な思考を取り戻せる様に、一生懸命ブログを書きます。




さくら

ミミさん、お久しぶりです♪

『無疑曰信』と『不(ふ)疑曰信』勉強に成りました^^

染みついた異流儀から正直な信心をはじめて行くと

なるほど~と思う事が多々ありますよね。

そうして、ひつひつ知って行くと不思議と素直な自分に成れていくから

本物の信心は違うわぁ~って思えてくるんですよね^^
[ 2014/03/06 01:25 ] [ 編集 ]

さくら♪さん

コメントありがとうございます☆
偽物の違和感がわかるから本物に触れた時、余計に有り難みを感じるんです(*^^*)
何から何までそうですね☆
[ 2014/03/06 17:23 ] [ 編集 ]

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