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顕正会員よ!護法心を取り戻せ!浅井先生の『試練と忍従の歴史』に学ぶ

顕正会「試練と忍従の歴史」(P15~16より)

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“法華経に勝る兵法なし”

講報第一号「大鉄輪」欄(33年8月3日)

『一年前の今日、波瀾万丈の中に「再建妙信講」の旗はへんぽんとひるがえる。ふりかえれば雄々しくも悲壮な出発だった。かくすればかくなるものと知りながらも、遂に濁れる安易を捨てて自ら信ずる道を選んだ。五里霧中ではあったが仏天の加護を固く信じつつ。それから誤解と悪罵と嘲笑の半年、だが見識なき愚人のざわめきは師子王の子を鍛えるのみ。今一年を経た今日、益々所信の正しさを知る。妙信講員は美田は残さずとも貴重なる体験を子孫に語り伝えよ、その語は「法華経に勝る兵法なし」と。権勢にへつらうな、おもねるな、曲げて安易に住するなと、只恐るは仏の金言に違わん事のみ、そのほかに何が怖い。

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私がこの様な事を記事にしようと思ったのは、『無二の師匠』に師事し、『唯一正しき団体』に所属している勇猛果敢なはずの顕正会員が、とことん法華講員の折伏から遁走する姿が余りにも目に余ったからです。

浅井先生が『最後に申すべき事』で諌めたからそれで良いのか?
日如上人猊下に対しては『建白書』を送ってあるからそれで良いのか?

顕正会の主張は「宗門は現在進行形で戒壇の大御本尊様に不敬をはたらき御遺命にも背き続けている」わけですよね?
師匠が勇んで諌暁されるのを弟子はただ傍観していればそれで良いのか…
弟子ならばその1人1人が、その背景たるどぶ板踏んでの宗門諌暁の戦いに身を投じていくべきです。
その他に師恩に報いる術はないと心得なさい。

私が現役の顕正会員だった時は、先輩に付き、「公明党」の看板を掲げる家には片っ端から諫暁書をもって訪ねたものですし、勿論法華講員にも縁あらば折伏に赴いたものです。

『曲げて安易に住するな』
顕正会員は如何なる仏敵が出来しようとも『先生の御指導』という利剣をもって一蹴することは容易いはず。
宗門が曲がり、影ななめなりと。だから地震もおこり、中国も責めてくるのだと。
ならば悪の根源を断たんと法華経の兵法を用い、仏敵宗門信徒と戦っていくことこそ万事をさしおいて急ぎなすべき事ではないのか?

相手が怖かったら申し込まれた法論から遁走せよ
御本尊様への不敬を黙止せよ
との御金言が一体どこにありましょうか。

良く上長に「私達は先生のファンではない。弟子なのだ」と常々指導されたものです。

法華講員に責められ、小身と成りて隠れるが如き現在の顕正会こそ「堕落」という言葉がピタリと当てはまるものではないかと、声を大にして叫びたいのです。

聞いてもいない、触れてもいない、会ってもいないのに法華講員を『見識なき愚人』と断定し、第六天の如く恐れ、逃げ回る。それは真実には正法に触れる事を恐れる故ではないのでしょうか?


※記事を読むに当り、現役若しくは元顕正会幹部以外の方には若干違和感があると思います。あくまで読者対象を顕正会員とし、根底には「正法に導きいれたい」との思いがあって著した内容という事を前提に読まれて下さいm(__)m

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