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『戒名』(かいみょう)の意義を偽る

顕正会では『戒名』という事の意義を非常に軽視し、近年では浅井会長の「戒名は不要」宣言により、昔の古いしきたりという事になってしまって、現代ではまるで全く意味がないかの様なイメージが会の中に遍満している状況ですね。
しかし、「御在世の信行に立ち返った」と声高に主張する顕正会こそ本当であれば、この『戒名』という事について、なかったことには出来得ない事柄だという事。そして、もっと重く捉えて、正しい意義を認識しなければならない事柄なのだという事をまずお伝えしたいと思います。

では、そもそも戒名とは何かというと、端的には、
「仏門に帰依した出家・在家の者が、授戒を受けた時に授けられる名前」の事です。

『授戒』(じゅかい)とは戒律を授ける(授かる)ことをいい、仏道修行を成就する上で守るべき規律があり、それを守る誓いの儀式の事をいいます。
この日蓮正宗伝統の儀式を真似ているのが、顕正会でいうところの『入信勤行』ですね。

そしてこの『授戒』を受けた時に授けられた名前であるから『戒名』(仏道修行における名前)というわけです。

しかし現代では一般的に戒名というと「死後与えられる名前」という考え方が定着しております。

これは時代背景の変化によるもので、その代表的な理由は、

1、生前に戒名が与えられても、法律上改名が容易でないこと。

2、世間の人に対しても馴染みにくいこと

3、信教の自由が約束された逆の効果として、退転が容易になっていること

等が挙げられます。

従って、今日の在家信徒に対する戒名授与の具体的な方法としては、生前の信仰に対する活動・活躍の度合いに従って、指導教師が相応しい戒名を各々に授与する形がとられています。
そこで日蓮正宗においては、葬儀の折に引導文を奉読する中において、俗名を改め、戒名を授与した事を導師御本尊に報告しているのであり、以後はその戒名によって塔婆供養や月々の回向がなされていくのです。
日蓮大聖人様の仏法に正しく縁した人に対しては、戒名を以て成仏を祈念していくべきであると御指南されているのであり、この作法というのは大聖人御在世以来、変わらず続いてきているのです。
戒名が与えられることによって、大聖人の仏法に正しく帰依したことが証明され、そのことを又、大聖人に御覧頂く事で、成仏の境界に導いて頂いているのです。
つまり、大聖人の弟子として導かれる「証」となるものでありますから、戒名の有る無しは、信仰上大変に意義が深いという事になります。

それから、顕正会員さん達は「御開扉」を「御開扉料稼ぎ」とか、日蓮正宗の僧侶はただの「職業坊主」とか、終いには「あれは出家(しゅっけ)しているのではない、家出(いえで)しているんだ」等と、悪意の誹謗中傷を擦り込まれていることでしょうから、きっとこの『戒名』についても誤解していることと思いますが…

日蓮正宗における戒名の意義は前述のとおりですから、そこに料金が発生するなどという事はあり得ません。

勝手な思い込みをしている顕正会員の方はこの清純潔白な日蓮正宗の化儀を正しく理解して頂きたいと思います。

最後に、顕正新聞H16/3/5号における浅井会長の痴論を掲載し、少々破折を加えさせて頂きます。

「結論から云えば、戒名などにこだわる必要はない。戒名で成仏するんではない。大事なのは、生きているときの信心だよ。」

※仮に成仏するのに必要ではないものを化儀から省くという事であるならば、顕正会館に安置されている御本尊は必要ですか?遥拝勤行で良いというのなら必要ないと思うのですが…。

「それがいつの間にか、邪宗の葬式坊主が戒名を金もうけの手段にしたんだ。
 戒名には六字戒名だ、七字戒名だ、九字戒名だといろいろあるが、うんとお金を出せば立派な戒名を付ける。こんなのは商売じゃないか。
 喪主のほうも、世間への見栄から、立派そうな戒名を付けてもらいたいからウンと全を出す。まことに下らんことです。
本宗の戒名は邪宗のそれとは違うのだろうね。」

※違うのなら、例に出す必要はないですよね?会員さんの無知をいいことに、錯覚を起こさせて悪意の植え付けをせんとする魂胆ですね。

「大聖人様が、死者に戒名を付けられたという記録があるかね。そんな事実は全くないではないか。
 大聖人様が門下の強信に授けられた法号というのは、俗にいう戒名ではない。その純粋強盛な信心を賞し賜わった、仏弟子としての名号ですよ。
 たとえば上野殿は「大行」と。たった二字です。なんとスッキリとした法号か。「○○院○○○○信士」などというものではない。たった二字だ。
あるいは父君・母君には「妙日」「妙蓮」の御名を賜わっている。
 これが御在世の仏法上の法諱(ほうい)・法号です。ケバケバしい戒名なんていうものは、御在世には全くなかった。」

※小松原法難において一死をもって大聖人を御守護し奉った強信者・工藤吉隆に対して大聖人は御自ら僧礼をもって葬儀を取り行われ、「妙隆院日玉上人」という戒名を与えられています。これ「死者に戒名を付けられた事実」ですね。
それから歪曲も甚だしいですね、「仏弟子の名号」こそ正に『戒名』というのです。

「熱原の法華講衆の頭領である神四郎殿に至っては、未だ法号も頂いてないのです。
我々も、これでいいではないか。俗名のままでいいんです
 ただし、顕正寺で住職が戒名を付けてくれる。これは大いに結構です。しかし本質において、俗名でもいいんだという見識を、顕正会員は持つべきであるということです。」

※つまり浅井会長、顕正会にとって、戒名について重々の御指南をされている「第九世、日有上人」はどうやら邪師であるという事になりそうですね。
即ち、
『化儀抄 第6条(引導回向の心構え)』
『一、仏事追善の引導の時の回向の事、私の心中有るべらず。経を読みて此の経の功用に依って、当亡者の戒名を以って無始の罪障を滅して成仏疑いなし、乃至法界平等利益(ないしほうかいびょうどうりやく)。』





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