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『遥拝勤行』の誤りについて 3 『信心の血脈』

前記事の続きになります。

“遥拝勤行”がいかに思い上がった考え方かという事を認識して頂くためには、『信心の血脈』に関しての理解が必要です。

例えば、水の沢山溜まった“ダム”があるとします。その水を「許可なく」勝手に引いてきて、使っても良いと思いますか?

功徳は良く「水」に例えられますが、顕正会でも入信勤行の際「この本門戒壇の大御本尊様はあらゆる功徳が収まり、具わっております」と教えられます。
ですが、もしその功徳、貯水を許可無しに使っているという事なのであれば、それは犯罪なのです。

またもし、別の例えをするならば、携帯電話がいかに遠く離れた人とも会話する事ができる便利な道具であったとしても、回線の契約が必要不可欠なのであり、使用する本人自身が然るべき手続きを踏んだ後、初めて利用が可能となるわけですね。

では具体的にどの様な手続きを取れば良いのか、どなたの許可を得れば良いのかといいますと、

当然「日蓮大聖人様の許可を得なければならない」という事になるのであり、その「日蓮大聖人様が定められた手続きに則る」事が必要条件となってくるわけですね。
要するに、信心の対境である法体の大御本尊様は即、人本尊、日蓮大聖人様なのであり、生身の御仏であられるという事です。

しかし現在、大聖人様の許可を得るといっても、既に700年以上前に御入滅されているわけですから、物理的に不可能ではないかという事になってしまいますが、令法久住の大白法がそんなチャチなものであるはずがありません。

御本尊七箇之相承には、

『代々の上人、悉(ことごと)く日蓮と申す意(い)なり』

と、この様に御相伝されています。

では現在、大聖人様の意を継いでおられる代々の御上人は一体どなたかといえば、「総本山第68世、日如上人猊下」であらせられます。
考えるべきは、昭和49年、顕正会は日蓮正宗から解散処分を受けて追放され、以来現在に至るまで御法主上人猊下に認められていない団体なのだという事なのです。

現御法主上人猊下の許可を得ていないという事は、上記の御文を拝せば、「大聖人様の許可を得ていない」という事に通ずるわけであり、仏意に適わぬ己義なのです。

つまり信じて遥拝すれば「大御本尊様に直接通じる」などというのは単なる「妄想」に過ぎないということですね。

総本山富士大石寺において、中興の祖と仰がれる「第九世日有上人」は「化儀抄」の第四条に、次の様に仰せです。

「手続の師匠の所は、三世の諸仏高祖已来代代上人のもぬけられたる故に、師匠の所を能(よ)く能く取り定めて信を取るべし、又我が弟子も此(か)くの如く我に信を取るべし、此(こ)の時は何(いず)れも妙法蓮華経の色心にして全く一仏なり、是れを即身成仏と云うなり」
<現代誤訳>
「自分の直接の師匠に当たる方の身には、一切の仏を含め、御本仏大聖人已来の御歴代上人のお悟りが貫かれ、宿っているのであるから、師匠となる方の心を確りと受け止めて、心に定めて信じ従っていくべきである。又、私日有の弟子にあっても同様に、直接の師匠である私を信じて修行していきなさい。手続の師匠を信じて仏道修行に励む時は、誰もが妙法蓮華経という大聖人の悟りを心身と全く同じ仏の境界となるのであり、これを即身成仏をいうのである」

この中で仰せの「手続の師匠の所は…」というのは、日有上人御自身、自分の手続の師匠となられた総本山第八世・日影上人に対して信心を取り定めたことで、大聖人様の仏法を体得し、血脈を授かる立場となったことから、私の弟子達も同様に、直接の師匠を信じて修行を積むことで、必ず、仏力・法力を授かる身となることを教えられているのです。

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